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「親にも言うな」セオリー破壊の区間配置で初優勝…17年前、全国高校駅伝“超名門校”の原点を現監督が回想「今考えても、最強世代だった」 

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高見澤勝

高見澤勝Masaru Takamizawa

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photograph bySaku Chosei Senior High School

posted2025/12/25 17:01

「親にも言うな」セオリー破壊の区間配置で初優勝…17年前、全国高校駅伝“超名門校”の原点を現監督が回想「今考えても、最強世代だった」<Number Web> photograph by Saku Chosei Senior High School

今や全国屈指の強豪校となった佐久長聖高が全国高校駅伝を初制覇した2008年。村澤明伸、大迫傑を擁し「佐久長聖史上最強世代」と高見澤勝現監督は振り返る

 0秒差で仙台育英に敗れましたが、2時間3分台での準優勝。そのメンバーが5人残っていたチームは「日本一」に懸ける思いは相当強かったです。コーチ1年目の2008年度は、選手たちから「絶対に優勝するんだ!」という思いが常に伝わってきました。練習、生活、何をおいてもハイレベルでした。

若き日の村澤明伸、大迫傑

 チームの絶対エースだった村澤はポイント練習で集団を引っ張るだけでなく、プラスしてやっていました。練習は非常に積極的でしたし、私生活もマメで学校の授業も一生懸命やっていた感じがしました。他の教職員からとにかく評価が高かったと思います。

 大迫はまだ2年生ということもあったので、チームを引っ張るというよりも、上の学年の村澤、千葉健太、佐々木寛文らに食ってかかっていくような、ガツガツしているイメージがありましたね。

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 駅伝部ができた当時は部員数もそんなに多くなかったこともあり、両角先生ひとりで指導されていました。しかし、部員数が増えただけでなく、両角先生は日本陸連の仕事など学校以外の業務が増えました。さすがにひとりでは手一杯になったと思います。

 寮には両角先生が宿泊する部屋もあったので、私が来るまでは、寮に泊まることもあったようです。私自身は両角先生ができないこと、一緒に走るのもそうですし、寮監のような立場として寮に寝泊りするかたちになりました。まずは自分が与えられた役割をしっかりやらなければいけないなと思っていました。

 私自身、中学を卒業して佐久長聖高校の寮に入り、ホームシックになりました。特に新入生は同じような気持ちが少なからずあると思います。競技面の指導だけでなく、私生活の相談に乗るなど、様々なことを解消してあげられるように意識していました。

【次ページ】 全国高校駅伝で悲願の初優勝

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