プロ野球PRESSBACK NUMBER

広岡達朗93歳「あの頃は本当に楽しかった」じつは“幸せだった”ヤクルト監督時代「あのマニエルがバントを…」広岡と衝突した外国人選手の“献身” 

text by

長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

PROFILE

photograph byKYODO

posted2025/12/22 17:01

広岡達朗93歳「あの頃は本当に楽しかった」じつは“幸せだった”ヤクルト監督時代「あのマニエルがバントを…」広岡と衝突した外国人選手の“献身”<Number Web> photograph by KYODO

1978年、ヤクルトスワローズ監督時代の広岡達朗。球団初の優勝に向けて駆け抜けた日々を、広岡は「幸せだった」と述懐する

マニエルにも芽生えていた「フォア・ザ・チーム」の思い

 杉浦が口にした試合は9月17日、仙台で行われた対広島東洋カープ21回戦での出来事である。5対5で迎えた8回裏、無死一、二塁の場面でマニエルはバントを試みている。それまで3連続三振といいところがなかったマニエルだが、このバントがマウンド上の江夏豊の野選を誘い、無死満塁とチャンスを広げたスワローズは、続く大矢明彦のタイムリーヒットで2点を奪って勝利を収めている。

 これは広岡が出したサインだった。試合後、「メジャーリーガー時代にもバントの経験はない」とマニエルは語る。かつて、広岡と衝突したマニエルの胸の内にも、「チームのために」という思いが芽生えていたのである。杉浦はなおも続ける。

「いつの試合か忘れたけど、1アウト一塁の場面で、大矢さんがセーフティバントを決めたこともありました。もうイケイケだからみんながいろいろなことを試していましたね」

ADVERTISEMENT

 誰もが勝利を渇望していた。気がつけば、広岡が求めた「フォア・ザ・チーム」の思いをナイン全体で共有していたのである。

続く

『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)※クリックするとAmazonのサイトにジャンプします『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)※クリックするとAmazonのサイトにジャンプします
#2に続く
広岡達朗が言った「あんなことができるのは星野仙一しかいない」ヤクルト初優勝のウラに“まさかの直球勝負”「星野さんのボールの握りが見えたんです」

関連記事

BACK 1 2 3
#広岡達朗
#杉浦享
#水谷新太郎
#安田猛
#チャーリー・マニエル
#ヤクルトスワローズ
#星野仙一
#中日ドラゴンズ
#読売ジャイアンツ

プロ野球の前後の記事

ページトップ