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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「リバプールで出ていなかった時期でも」森保ジャパン最多出場の“申し子”南野拓実が不遇だったときとは…W杯で「リベンジ」誓うも声かからず
text by

佐藤景Kei Sato
photograph byAsami Enomoto
posted2025/11/27 17:00
森保監督の国際Aマッチ指揮100試合目となったボリビア戦にも先発した南野。しかし思い起こせばなかなか招集されず苦しい時期もあった
カタールW杯に向かう道中では、アジア2次予選でゴールを量産したが、最終予選に入ると途端に勢いを失った。チーム事情もあってポジションがトップ下から左ウイングへと移った影響もあっただろう。そんな中で迎えた本大会でも、チームがドイツとスペインを下し、世界を驚かす中、10番を背負った南野は期待された活躍を見せられなかった。
リバプールで苦戦していても招集してくれたから
「自分がリバプールで試合に出ていない時期にも、森保さんが代表に呼んでくれていた。ビッグクラブに挑戦して試合に出られないから代表に呼ばれなくなると、ビッグクラブに挑戦できない選手が出てくるからと、森保さんが考えていたと聞きました。監督に感謝しましたし、だからこそ恩返しじゃないけれど、森保さんと一緒にベスト16の壁を越えたかった。それができなくて残念です」
当時、すでにリバプールからモナコへ移籍していた南野だが、クラブで完全にポジションをつかんではいなかった。そうした状況のまま迎えたカタール大会では、出場した3試合すべてが途中から。PK戦までもつれたラウンド16のクロアチア戦では自ら申し出て最初のキッカーを務めたものの、失敗。チームも1−3で敗れた。
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敗退決定翌日の取材では「絶対にリベンジしたい」と誓っていた南野は、2023年3月に再スタートを切った第2次森保体制ではしばらく招集がかからなかった。依然としてモナコで出場機会が少なく、苦しい時期を過ごしていたからだ。
ようやく状況が変わり始めたのは、2023年の新シーズンからだった——。
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