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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「リバプールで出ていなかった時期でも」森保ジャパン最多出場の“申し子”南野拓実が不遇だったときとは…W杯で「リベンジ」誓うも声かからず
posted2025/11/27 17:00
森保監督の国際Aマッチ指揮100試合目となったボリビア戦にも先発した南野。しかし思い起こせばなかなか招集されず苦しい時期もあった
text by

佐藤景Kei Sato
photograph by
Asami Enomoto
連続在任歴代最長の森保一監督が率いる日本代表。その森保ジャパンの「申し子」ともいえる存在が南野拓実だ。2025年最後の活動となった11月シリーズでも活躍を見せた南野だが、苦しい時期もあったことをご記憶だろうか。〈全2回の1回目/つづきを読む〉
11月18日のボリビア代表戦で、森保一監督が国際Aマッチ指揮通算100試合という節目を迎えた。日本史上初めてワールドカップをまたいで監督を務め、連続在任歴も歴代最長。記念すべき試合を前にした取材の中で、南野拓実はこんなコメントを残している。
「(森保監督の通算100試合は)素晴らしいことだと思うし、それに素晴らしい監督だと思います。僕は、森保さんと長くやらせてもらって、一緒にチームとして戦ってきた思いとかもあるので。その100試合の中で、自分が多くの試合に出ているのは光栄なこと」
森保ジャパン最多出場、最多ゴール
南野は森保監督のもとで最多の71試合に出場(2位は伊東純也の63試合)。ゴール数も2番目に多い大迫勇也の17ゴールに大差をつけ、26ゴールを記録している。森保ジャパンを最も知る選手と言っていいだろう。
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南野が代表デビューを飾ったのはヴァイッド・ハリルホジッチ監督時代の2015年10月のイラン戦だが、代表初ゴールを挙げたのは、奇しくも森保監督の初陣となった2018年9月11日のコスタリカ戦だった。以降、何度もネットを揺らし、チームに勝利をもたらしてきた。
だが、そんな「森保ジャパンの顔」とも言える選手でもポジション争いの外側へと追いやられていた時期がある。カタール・ワールドカップ終了からしばらくの間、代表に招集されなかったのだ。その歩みは、まさに山あり谷あり。起伏に富んだ道のりを進んできた。

