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野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平に4年ぶりのLINE「久しぶり、覚えてる?」その返事とは? 高校日本代表の同僚・大谷に“ある相談”、岡野祐一郎が中日のドラフト指名を受けるまで
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byNanae Suzuki
posted2025/11/17 11:01
1994年度生まれの大谷翔平世代で、中学時代は補欠だった男はなぜプロ野球選手になれたのか
「大谷はすごくフレンドリーでした。大阪桐蔭の選手たちから少しでも何かを吸収しようとしていて、『どんな練習してるの?』とか聞いてたり。大谷は大谷で160キロ投げていたので、他の選手から一目置かれているところもあって、関西の人たちとすごく打ち解けていましたね。大谷はどちらかというと子どもみたいにはしゃいでいるようなイメージでした。取材を受けるときは堅いイメージがありますけど。そのへんは賢いというか、メディアを上手に使っているのかなという印象はありましたね」
このときのメンバーで同窓会のようなものを開くことはあるのかと問うと、岡野はこう即答した。
「絶対ない。まとまりがないですもん」
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(本文中略)
藤浪、大谷がいたU-18の内情
岡野の出番は第1ラウンドのチェコ戦だけだった。5回で降雨コールドとなったものの、そこまでは0点で抑えた。岡野はそのときバッテリーを組んだ大阪桐蔭の2年生捕手、森友哉(オリックス)の言葉が忘れられないという。
「たぶん、自分がいるのに気づいてなかったんですよ。チェコ戦の帰りに、森が大阪桐蔭の選手に『(岡野より)澤田さんの方が絶対いいですよ』みたいなことを言っているのが聞こえてきたんです」
澤田圭佑(千葉ロッテ)は大阪桐蔭の二番手投手だった。とはいえ、エースである藤浪の力量が高校レベルを超越していただけで、澤田も他のチームなら十分、エースを張れるだけのボールを持っていた。
ただし、岡野はそんな話を決して恨みがましく言うわけではなく、さも当然であるかのようにさらりと語るのだ。
「代表に選ばれたからといって、周りの選手と対等だとは思っていなかった。調子に乗れない性格なのは自分でもわかっているので。聖光でエースになり、甲子園にも出て、プロ野球選手っていう考えもうっすらありましたけど、ブルペンで大谷とか藤浪と並んで投げていて、やっぱり無理だよなと思っていました。その確認はできましたね」
岡野にとっての天からのギフト。それは二つあった。一つ目は部長の横山が「神様」と表現したコントロールである。そして、もう一つは心のスタミナだった。
「今すぐプロは無理でも、大学を卒業したときにはプロに行きたいという気持ちは芽生えていました。僕の場合は周りにだいたい自分よりもいいピッチャーがいて、その人との差をどうやって埋めようか考えてやってきたんです。高校のときも一つ上に歳内さんがいましたし。すごかったのに消えてしまう選手って、自分と誰かを比較しちゃうのかもしれませんね。それでネガティブになっちゃう。自分にそれはないので」


