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非業の死から2年…いま明かされる『村田兆治という生き方』“不可解な死の真相”を真っ向から否定する著者が綴った“サンデー兆治”との35年

posted2024/12/09 18:20

 
非業の死から2年…いま明かされる『村田兆治という生き方』“不可解な死の真相”を真っ向から否定する著者が綴った“サンデー兆治”との35年<Number Web> photograph by KYODO

マサカリ投法で通算215勝をあげたロッテ・村田兆治。2005年に野球殿堂入り。2022年11月に自宅から出火し亡くなった

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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 マサカリ投法で知られる元ロッテ投手の村田兆治さんが亡くなって2年余りが経とうとしている。

 日刊スポーツの記者として村田さんを現役時代から取材、引退後もライフワークとしていた「離島甲子園(正式名称・国土交通大臣杯・全国離島交流中学生野球大会)」のサポートなどで深い絆を築いていた元佐渡市長の三浦基裕さん書き下ろしの『村田兆治という生き方 マサカリ投法、永遠なれ』(三浦基裕著/ベースボール・マガジン社)が12月4日に発売された。

村田兆治「死の真相」を真っ向から否定

 2022年11月11日、東京・世田谷区の自宅からの出火による一酸化炭素中毒で村田さんは亡くなった。その死の約2カ月前の9月23日、村田さんは羽田空港の保安検査場で、女性係官に暴行を振るったとして逮捕されるという“事件”を起こしている。ショッキングな死もそうだったが、この2つの衝撃的な出来事を結び合わせ“自殺説”や“痴呆説”など根拠のない話が、まことしやかにネットを賑わせたが、三浦さんはそうした無責任な「死の真相」を本書で真っ向から否定する。

 羽田空港での事件は安倍晋三元総理の国葬を4日後に控えた、厳重警備の中で起こったことだった。

 保釈直後に三浦さんに直接かかってきた電話で、村田さんは自分としては暴力行為を働いたつもりはまったくないと語っていた。しかし最後は「今となってはとにかくあの女性検査員さんに心から謝るしかないし、そのように受け取られたこと自体、俺の落ち度なんだから反省するしかない」と謝罪の言葉も口にしていたという。そして何より「離島甲子園」に参加してきた子供たちを失望させたことへの悔恨を語り「空港で逮捕されたことで俺を信じられなくなった子がいるかもしれない。どんなに時間がかかっても交流を続けて全国の子供たちの信頼を取り戻していく」と語った。そして「改めて村田兆治という男を信じてもらうために、やれることは何でもするつもりでいる」と今まで以上に「離島甲子園」に全力で取り組む決意を語っていたのだという。

 不器用で愚直。三浦さんは「村田兆治という生き方」をこう語る。

 その不器用さ故に、愚直さ故に、内に秘める本当の思いがなかなか伝わりにくい。羽田空港での“事件”も、そんな村田さんの不器用さによるトラブルだったのかもしれない。その上で直接、村田さんの思いを聞いた三浦さんが主張するのは「人は誰でも人生というマウンドに立っている。簡単に降板することはできない」という人生哲学を持っていた村田さんが自殺をする訳がないということだった。ましてや“痴呆”などということは気配もなかった、と電話口から伝わってきたその声、話の内容から完全否定するのである。

最初に心を開いたのは村田ではなく落合

 三浦さんが村田さんと知り合ったのは、日刊スポーツのロッテ担当記者となった1986年のことだった。

 その頃のロッテは万年Bクラスの弱小チーム。そこで三浦さんが目をつけたのが前年にカムバック賞を獲得した村田兆治投手と2度目の三冠王を獲得した落合博満内野手だった。

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