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野ボール横丁BACK NUMBER
藤浪晋太郎に黒田博樹が激怒「あの“死球”がトラウマになった」説も…藤浪晋太郎がDeNA移籍前に明かした「阪神時代、眠れなくなった過去」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byNumberWeb
posted2025/10/23 11:06
今年2月末、キャンプ地のアリゾナで取材に応じた藤浪晋太郎(当時マリナーズ)
それまで「藤浪世代」と呼ばれていた1994年4月から1995年3月に生まれた選手たちは、気づけば「大谷世代」として括られるようになっていた。
藤浪はわれわれの目の前に現れるなり、「お待たせしました」と軽く頭を下げた。私の中での藤浪は大阪桐蔭時代も、阪神時代も、さほど記者を待たせていなくても、そう口にしそうな人物だった。
藤浪はユニフォームから半袖短パンに着替えていた。チームのロゴマーク入りの紺色のセットアップだった。胸元からはチームカラーであるエメラルドグリーンのTシャツがのぞいている。アメリカのビビッドな色の球場には彩度の高い色が映える。渡米後、藤浪にとって4球団目のユニフォームだった。
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ユニフォーム談義になると、藤浪は照れくさそうに言った。
「自分で言うのもなんですけど、メジャーで着た中で、マリナーズのがいちばん好きだし、似合ってると思います。周りの方にもそう言っていただくことが多いですし」
ユニフォームやグラウンドの色のせいもあってか、アメリカに渡ってからの藤浪は表情が明るくなったように感じられた。
「こっちに来て3年目になりますけど、そうですね、自由にやってる感じはありますね。自分軸で動いていると言いますか。ちょっと大げさな言い方になりますけど、自分の人生の主役はあくまで自分なんで。そういう意味では、こっちに来て自分を取り戻せたのかなと思います」
大げさでもなんでもない。自分の人生において、主役はいつだって自分でいいはずだ。
黒田博樹への死球…トラウマ説の真相
藤浪に確認したかったことの一つ目はプロ3年目、4月25日の広島戦での出来事だった。
バントの構えをしていた投手の黒田博樹に対し、藤浪が投じたボールは2球続けてすっぽ抜け、黒田の懐をえぐった。
一度目は平静を保っていた黒田だったが、二度までも仰け反らされたときはさすがに色をなしてマウンドへにじりより、ものすごい形相で藤浪に怒鳴り声を浴びせた。衝撃的な光景だった。それだけに、藤浪がフォームを乱したのはこの事件が引き金になったとする説がまことしやかに流布された。
「黒田に際どいボールを投げてしまったことでおかしく……」
私がそう言いかけると、藤浪は続きを遮るようにぴしゃりと言った。
「ぜんぜん関係ないです」
その強い否定には投手としての矜持が見え隠れしているように感じられた。
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