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野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byGetty Images
posted2025/10/15 11:19
大谷翔平に「かなわない」と言わしめた大坂智哉の今
〈長者レッドソックスに大坂君というピッチャーがいて、これはすごかった。そのときはもう、かなわない、負けたと思いましたね。僕よりでっかくて、体すげえな、すんげえ力だな、すげえ球も投げるなと思って、上には上がいるんだなと……〉
そうは言っても大谷も本格派右腕としてそれなりの注目を集めていた。その大谷のボールを見て、一方の大坂はこう思ったのだという。
〈打てないとは思わなかった。むしろ、打てると思いましたね 笑〉
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向こう気の強さをうかがわせる言葉だった。記事全体を通して浮かび上がる人柄も、典型的な「元お山の大将」だった。
最初に会う人物は、大坂をおいて他にいないと思った。謙虚な人物よりも、傲慢で、ビッグマウスな人物の方が記事的にはおもしろくなるという予感もあった。
30歳になった大坂智哉
ところが、実際に大坂に会ってみると、肩透かしを食らったような気分になった。この日の試合後、インタビューのために私の目の前に現れた大坂は打席の中の堂々としたイメージとは打って変わって控えめで、体も打席の中よりも小さく感じられた。
威勢のいい言葉がポンポンと飛び出るようなインタビューを想定していただけに、あまりのギャップにどこか物足りなささえ覚えた。
――もともとバッティングに自信はあったんですか。
大坂 いや、打てたらいいなぐらいでしたね。
――『Number』の記事によると「むしろ、打てると思いましたね」って書いてあるから、自信満々だったのかなとか思って。
大坂 いや、ちょっとあれなんですよね……それは。
――盛り気味?
大坂 そうですね。
――そんな自信満々だったわけではない?
大坂 言ったかなあ……っていう感じだったんですけど。
大坂と大谷「中1夏の出会い」
バケモンとバケモンの邂逅――。
それは2007年6月3日、中学1年生の夏だった。
福島県の開成山球場(現ヨーク開成山スタジアム)で開催されていた、全日本リトルリーグ野球選手権東北連盟大会2日目のことだ。最終日でもあったその日は、準決勝2試合と決勝が予定されていた。大会期間が短いリトルリーグの大会ではダブルヘッダーはざらにある。
大坂は東北大会に出場するまで大谷の存在を知らなかったという。
「リトルの頃、自分の中では東北大会までいったらすごいことだと思っていて。なので、青森県内のすごい選手のことは知っていたんですけど、県外の選手のことまではわからなかったんです」


