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大谷翔平「大坂君には負けたと思いました」大谷のライバルだった“青森の天才”とは何者か? “怪物中学生”のその後…運命を変えた「12歳の選択」
posted2025/10/15 11:20
「大谷が衝撃を受けた怪物」大坂智哉の中学野球部時代
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
Tomoya Osako
その書籍のなかから“怪物中学生は今”を紹介する。あの大谷に「負けた」と言わせた少年、大坂智哉。彼を追って、女川町を訪ねた。【全2回の2回目/第1回も公開中】
◆◆◆
<2007年6月3日、中学1年生の夏。大谷翔平(水沢パイレーツ)と大坂智哉(長者レッドソックス)はリトルリーグの東北大会で出会う。>
「ナンバー1投手は大坂君だろう」
準決勝の第1試合は水沢パイレーツと福島リトルがぶつかった。そこで、とんでもない記録が生まれることになる。
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岩手県の水沢パイレーツの上半身のユニフォームはオレンジ色で、袖の部分だけ緑色だった。にんじんを思わせる独特の配色に身を包んだチームの中に頭一つ抜けている選手がいた。それが大谷だった。
福島リトルの監督を務めていた佐藤英明(現・総監督)もその試合まで大谷の名前を聞いたことがなかったという。
「当時はそこまで遠征が盛んではなかったし、今ほど情報も飛び交っていませんでしたから」
そんな佐藤でも岩手よりもさらに遠い地、八戸でプレーする選手の名前は聞いたことがあった。佐藤は私が大坂の名前を口にする前にこう言った。
「左投手で大坂君という子がいたんですよ。彼の名前は以前にちらっと聞いたことはありました。青森のチームだったんですけど、今大会のナンバー1投手は大坂君だろう、と言われていました」
最初の大谷伝説「17奪三振(18アウト中)」
福島リトルは、大谷の情報をまったく持たぬまま試合に臨んだ。そのためブルペンで投球する大谷のボールを初めて見たとき、佐藤は目を見開かされることになる。
「うちのエースも117キロくらい出ていたんです。でも、それよりも明らかに速かったですから」
リトルリーグのグラウンドの大きさは、一般男子のソフトボールとほぼ同じだ。ピッチャーズプレートから本塁までの距離は14・02メートルしかない。通常の規格だと、その約1.3倍の18.44メートルある。したがって理論上、リトルにおけるボールの体感速度は通常の約1.3倍にもなるという。
佐藤の証言から推量するに、当時の大谷は120キロ以上出ていたと思われる。となると打席での体感速度は150キロ以上になる。

