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「巨人を蹴って阪神を逆指名!」マスコミは熱狂…暗黒期のドラ1投手が明かす「タイガースを選んだ本当の理由」 悩んだ過熱報道とフォーム矯正
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2025/08/30 11:00
現在はロキテクノ富山の監督を務める藤田太陽氏
「先輩には、それが当たり前だからまずは慣れなさいと言われていましたが、あまりにも急激に自分の環境が変わった感じでどうしていいか分からなかった。毎日、新聞上で公開説教されているような気分になって。味方のうちはいいけれど、うまくいかなくなった瞬間に全員が敵に見える。部屋から出たくないし、人に会いたくない。ユニフォームを着てプレーする以外は誰にも会いたくないと塞ぎ込むような毎日でした」
「フォームを変えないなら、使わない」
1年目のキャンプで特に注目が集まったのは、藤田さんの投球フォームだ。左膝を2度高く上げてタメを作る二段モーションは独特だった。公式戦ではボークを取られる可能性もあると首脳陣から注意を受けた。
「キャンプの3日目か4日目だったと思います。コーチから、その二段モーションではもう投げるな、と言われた。僕はその場で『嫌です』と答えました。あのフォームはアマチュア時代に力を最大限にボールに伝えられるようにと作り上げてきたものでした。肘への負担を少なくする意図もあった。それを評価されて入団したのに、何で急に全てを変えなきゃいけないんだ、って」
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首脳陣の反応は冷たかった。「フォームを変えないなら、使わない」。そんな厳しい言葉を受けた。昨今のプロ野球界では新人選手の投球フォームや打撃フォームを無理に矯正するのは“御法度”になっているが、当時はコーチが「変えろ」と言えばそれが絶対という“上位下達”の時代だった。
「当時のコーチも、良かれと思って言ってくださったのだと思います。でも僕は合わせられなかった。今思えば、それだけの技術がなかった。でも、当時はもう頭の中がこんがらがってしまいました。なぜいきなりそんなことを言われなきゃいけないんだ、と『Why?』ばかりが先立って、『How』とはならなかった。納得できないまま、訳のわからないフォームで200から300球ブルペンで投げる毎日。もう左で投げているくらいバラバラの感覚でした。ただただ、苦しかったですね」
希望に満ちて袖を通したタテジマのユニフォーム。ドラ1右腕の野球人生の歯車は、少しずつ狂い出していく。〈つづく〉

