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ドゥーハン、ロッシ、そしてマルケス…最強時代を築いた“強くて速すぎる”ライダーと、NSR500~GP25に至る名車の系譜
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遠藤智Satoshi Endo
photograph byGetty Images
posted2025/08/28 11:00
ゼッケン「1」を初めてつけた95年のドゥーハン。これ以降、レプソルカラーは常勝の象徴となった
ドゥーハンから最速の称号を受け継ぐ形で登場したのが、バレンティーノ・ロッシ。01年にホンダで500ccのタイトルを獲得すると、02年と03年は990ccの4ストロークエンジンが採用されたMotoGPクラスでタイトルを獲得。04年にはヤマハに移籍して05年まで2年連続でタイトルを手にし、あわせて5年連続で最速の座をほしいままにした。06年はホンダのニッキー・ヘイデン、07年はドゥカティのケーシー・ストーナーにタイトルを譲ったが、08年、09年には復活してタイトルを獲得した。
ロッシもまた勝ちまくった。ホンダの500cc時代の01年は11勝、MotoGPになった02年にも11勝を挙げ、ヤマハの05年にも11勝した。中でも圧巻だったのは02年。この年は500ccとMotoGPマシンが混在するシーズンで、ホンダのスタッフが「本気で走ったのは数回だけ」と言うほど、圧倒的な強さと速さだった。
その要因はロッシの類い希なセンスとマシンのセッティング能力の高さにあるのだが、ホンダがMotoGPクラスに投入したV型5気筒エンジン「RC211V」の圧倒的なアドバンテージのおかげでもある。
ロッシがヤマハへの移籍を決めた理由
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ロッシは03年にも9勝を挙げてタイトルを獲得したが、その年の契約がまとまったのがシーズン開幕直前だったため、ホンダは開幕前に重要な意味を持つマレーシアテストにロッシを呼ばなかった。他にも契約条項で合意にいたらない部分があり、それらが04年のヤマハ移籍のきっかけになったといわれている。
移籍の理由はもうひとつ、03年の開幕戦日本GPで大ちゃんこと加藤大治郎が事故で亡くなったこともある。最大のライバルになると目された大ちゃんが亡くなり、ロッシが脅威を感じるライダーがいなくなったことも決断の要因だったと僕は考えている。
ドゥーハンとロッシは、ある時期グランプリで圧倒的な強さを誇った。そしていまマルケスが、そのふたりをはるかに凌ぐ強さでMotoGPクラスに君臨している。
振り返ってみれば、いつだって名ライダーの傍らに名車あり。ドゥーハンにはホンダNSR500、ロッシにはホンダRC211VとヤマハYZR-M1。そしてマルケスはホンダRC213Vにドゥカティ・デスモセディチGP25。
マルケスの圧勝が続く2025年シーズン。タイトル決定は早ければ第17戦日本GPになると予測されている。数々の記録を打ち立ててきたマルケスが、最速の称号にふさわしい記録をまたひとつ作ろうとしている。

