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甲子園の風BACK NUMBER
沖縄尚学の凱旋に密着「比嘉公也監督は意外な表情で…」現地記者が沖縄で見た“甲子園の熱狂”「車が消える」「仕事にならない」ウワサは本当だった
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byTakarin Matsunaga
posted2025/08/26 11:07
主将の真喜志拓斗を先頭に沖縄尚学の選手たちが姿を現した瞬間。那覇空港は大歓声に包まれた
市役所でも「フロアの全員がテレビに釘付け」
今回の決勝戦は土曜日ということもあって、官公庁やほとんどの企業が休みだったが、準決勝は木曜日の午前中だったため、多くの人たちは仕事にならなかったという。とある市役所に勤める20代の女性はこう証言する。
「上司が『俺が電話対応するから応援してていいよ』と言って、その本人が先頭に立って応援してましたから(笑)。フロアの全員がテレビの前に釘付けになってました」
試合中は会社の業務そっちのけで応援するのは当たり前。試合中に得意先に電話をかけても繋がらないし、むしろ電話をすると逆に怒られる。タクシーはサボって道路から消え、工事現場からも音が消える。イニングの合間にトイレに行くため集合住宅の貯水タンクが空になり、食堂では誰も席を立たないから回転率が悪くなる。オリンピックやワールドカップで日本代表を応援するよりも、甲子園の応援に熱狂するのが、沖縄という地域の特徴なのだ。
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なぜそんな現象が起きるのか。沖縄県民の結束力は想像を絶するほど強固であり、誰もが心のどこかで互いを応援し、支え合っている。そのぶん、喜びを全県民で享受する一体感は、他の都道府県では類を見ない。紐解けば、江戸時代の薩摩藩による琉球侵攻から受難の歴史は始まった。戦後27年間のアメリカ施政下では「日本の中にあって日本でない状態」が続いた。1972年の返還後も複雑な政治状況下にある沖縄にとって、高校野球で内地(本土)のチームに勝つことの意味は他の県とはまるで異なっている。苦難の歴史を知る沖縄県民が、喜びや幸せを皆で分かち合いたいと思うのは当然のことだろう。
さらに、今回の沖縄尚学の優勝は15年前の興南の優勝とは大きく色合いが異なっている。いったい、何が違っていたのか。沖縄の人々の反応から、熱狂の理由をさらに深く掘り下げていく。
<続く>

