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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園“あの悲劇のサヨナラボーク”宇部商エースの今「絶対ボークだけはしないように」母校に進学した息子、家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2025/08/25 11:04
夏の甲子園「サヨナラボーク」から27年、あの宇部商エースは今
藤田には4人の子がいるが、男児は第1子である琉平だけだ。したがって、親子で甲子園を目指す日々もこれが最後となる。自分と同じく、宇部商のエースとして奮闘した愛息は甲子園に届かなかったが、投手として父親を超えた部分はどこか、と尋ねた。藤田は少し考えながら、答えを出した。
「球速ですかね。最後は139まで出て。ギリギリ140に行かないところが僕の息子らしいと思うんですけど」
飄々とした語り口と、安易に「すべての面で」などと言わないところが、あの夏のマウンドさばきに重なった。
「絶対ボークだけはしないようにしよう」
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今だから言える言葉は、琉平にもあるだろう。その一つと感じたのが、再び尋ねた「野球を始めたきっかけ」に関する返答だった。
「ずっと『(野球漫画が原作のアニメ)MAJOR』を見たから、と言っていたんですけど、それを見るきっかけは、5歳のときに父と甲子園に行ったことなんで、今思うと、あれがきっかけかもしれないですね」
最後に、高校野球生活で印象に残っている試合を聞いた。
「最後の試合もですけど、2年夏の西京戦ですかね。延長14回から投げて、試合は15回まで行ったんですけど、『同じ15回にボークしたら、一生いじられるな』と。緊張感はあったのに、絶対ボークだけはしないようにしようとか考えてたので、記憶に残ってますね」
琉平は大学でも野球を続ける予定だ。高校野球を引退した直後の今は、束の間の夏休みを楽しんでもいる。友人たちと遊ぶ合間にSNSを開けば、縦サイズのショート動画にあの夏の父が映る。結果はわかっているはずなのに、この夏も見入る自分がいる。
