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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園“あの悲劇のサヨナラボーク”宇部商エースの今「絶対ボークだけはしないように」母校に進学した息子、家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2025/08/25 11:04
夏の甲子園「サヨナラボーク」から27年、あの宇部商エースは今
こうして宇部商の門を叩いた琉平たちは、「宇部商が復活出場するなら、この世代」と目される‶黄金世代”だった。だが、そう簡単には復活劇は描けない。投手陣の一角に食い込んだ1年秋は2回戦、2年夏は3回戦で敗れた。入学以来初めてエースナンバーで戦った2年秋は4強入りするも、3位決定戦で敗れ、3校が出場できる中国大会を逃し、センバツへの道が絶たれた。
高校野球の2年半は、長いようで短い。5度あった甲子園行きのチャンスは、あっという間にラストを迎えた。
最後の夏を前に、琉平にある転機が巡ってきた。春先に開催された宇部市近郊のチームが参加するローカル大会で、宇部鴻城と対戦し、そこで打ち込まれた。その後、自分が声をかけたチームメートから厳しい言葉を投げかけられた。
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「琉平は練習が足りていない」
グサッときた。その直後の春の山口大会の背番号は11。自分を省みて、「誰よりも練習しよう」と決めた。
今までも平日に朝練をしていたが、より早く来て練習する。ランニングの本数を増やすだけでなく、最後の一本まで走り切る。足元を見つめ直した。
最後の夏…結果は
最後の夏。監督から手渡された背番号は、あの夏の父と同じ「1」だった。エースとして臨んだ、甲子園行きのラストチャンスのハイライトは、宇部鴻城との3回戦にあった。
この夏、山口県内の勢力図は、はっきりしていた。下級生時代からの公式戦経験者が多い下関国際と南陽工の2強と秋の県王者である高川学園を、「復活出場するならこの世代」と期待された琉平らの代の宇部商が追いかけるという構図だ。
それに対し、宇部鴻城は今や県を代表する強豪私立でありながらも、今年のチームは秋春とも16強止まり。戦前の予想は「宇部商優勢」だった。

