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甲子園“あの悲劇のサヨナラボーク”宇部商エースの今「絶対ボークだけはしないように」母校に進学した息子、家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」 

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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posted2025/08/25 11:04

甲子園“あの悲劇のサヨナラボーク”宇部商エースの今「絶対ボークだけはしないように」母校に進学した息子、家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」<Number Web> photograph by Kota Inoue

夏の甲子園「サヨナラボーク」から27年、あの宇部商エースは今

 だが、試合は序盤から宇部鴻城が押し気味に進める。6回途中、1-3とビハインドが広がり、なおも無死満塁のピンチ。打たれれば試合が決まる場面で、琉平が投入された。

「監督からは『ピンチになったら行くぞ』と言われていたので、心の準備はできていました」

 先頭を二ゴロに斬り、まず1死。そこから連続三振を奪い、絶体絶命のピンチを脱した。スタンドで戦況を見つめていた藤田の回想だ。

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「今まではああいうところで打たれていたんですけど、そこでちゃんと力を発揮して、頼もしいなと。自分は球場にいて、そこまで感じなかったんですけど、周りからは『あれで球場の雰囲気が変わったね』と言ってもらいました」

 琉平の好リリーフが呼び水となり、宇部商が逆転勝利。準々決勝も突破し、夏は8年ぶりに4強入りしたが、準決勝で前年王者の南陽工に敗れ、復活出場の夢は潰えた。

 この試合、琉平は1-1の同点だった6回から登板。だが、登板直後の投球練習でマウンドに足を取られ、左足の股関節を負傷。痛みをこらえながら3回1失点と粘ったが、延長12回に及ぶ激闘の末、1点に泣いた。

家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」

 琉平が1年生だった23年の秋から縁あって、藤田は宇部商の投手コーチを務めている。

 藤田が球場で琉平に声をかけることはなかった。会話を交わしたのは帰宅してからだ。「自分が延長まで投げられれば……」と号泣する琉平に対し、藤田が「よう頑張ったな」と語りかけ、こう続けた。

「宇部商に来てくれてありがとう」

 琉平が宇部商に進学すると決めたときにも、親として、一OBとして喜びはあったが、「これから大変だぞ」と厳しい言葉をかけた。自分と同じユニフォームを着ることで、今まで以上に、「サヨナラボークの藤田の息子」と見られるのは明白だったからだ。

 甲子園を目指した日々に一区切りがつき、純粋な父と息子の関係に戻れたことで発せた、3年越しの感謝の言葉だった。

【次ページ】 「絶対ボークだけはしないようにしよう」

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