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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園“あの悲劇のサヨナラボーク”宇部商エースの今「絶対ボークだけはしないように」母校に進学した息子、家で号泣「宇部商に来てくれてありがとう」
posted2025/08/25 11:04
夏の甲子園「サヨナラボーク」から27年、あの宇部商エースは今
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph by
Kota Inoue
高校野球で今も語り継がれる「敗北」がある。1998年夏の甲子園。宇部商は豊田大谷を相手に、延長15回裏、投手・藤田修平のボークでサヨナラ負けを喫した。あれから27年が経った今年、藤田の息子が同じ宇部商のエースに……。父と息子が取材に応じた。【全2回の2回目/1回目へ】
左投げと右投げの違いはあるとはいえ、琉平という名前の字面も、170センチ台中盤の背格好も、何よりマウンドに立ったときの雰囲気も似ている。
動画で見ていた「父が投げる姿」
あの試合の幕切れも、物心ついたころには知っていた。父・藤田修平(以下、藤田)から映像を見せられることはなかったが、野球を始め、動画サイトで野球関連の動画を見るようになると、「おすすめ動画」に件の映像が表示された。見ることなくスルーする父に対し、息子はタップ。そこには、灼熱の甲子園で投げ続ける、若き日の父の姿があった。
稀代の幕切れ以上に印象に残るのは、父の投球フォームだ。日々のキャッチボールで、父の投げる姿は何度も見ている。だが、大学時代に肩を痛めた影響で、どこかかばうように投げる現在に対し、動画では、甲子園の熱気に押されながら、左腕を流れるように走らせる。「これが本来の投げ方なんだ」。別人を見ているようだった。
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きっと同世代の誰よりも、強かった頃の宇部商に触れてきたから、自然と「宇部商を強くしたい」と思うようになった。
父と同じ宇部商へ。しかし…
チームメートや中学時代に対戦したライバルたちに「一緒に宇部商に行こう」と声をかけた。中には、私立に気持ちが傾きかけていた選手もいたが、琉平の熱意にほだされ、宇部商に進路を変えた者もいた。

