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甲子園優勝、阪神ドラ1でも「自信がなかった」高山俊(32歳)が今明かすタイガースの8年間…阪神を背負うはずだった“天才”に非情な戦力外通告 

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谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/08/27 11:04

甲子園優勝、阪神ドラ1でも「自信がなかった」高山俊(32歳)が今明かすタイガースの8年間…阪神を背負うはずだった“天才”に非情な戦力外通告<Number Web> photograph by JIJI PRESS

明治大学からドラフト1位で阪神に入団した高山俊

「甲子園で優勝して、そこから明治大学に行って。経歴を見たらそう(エリートと)言われることが多いのですが、特に高校時代はすごい選手だらけだったので自分が目立っている感覚はまったくなかったですね。2年生でレギュラーから外されていますし。3年の夏の大会やそれこそ甲子園に出てから『プロはこういう選手がいくんだろうな』と意識し始めたぐらい。明治でもまず試合に出ることが大事でしたから」

 プロ入りを明確に意識したのは大学3年生の頃だという。それでも関係者曰く当時から存在感は際立っていた。多くのスカウトが視察に訪れていた。

「パンチ力があってスイングがきれい。とにかく華があったよね、あの頃の高山は。高橋由伸のようだとよく言われていたけど、間違いなくプロで活躍すると思った」

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 明大4年時の秋季リーグでは六大学最多安打記録を131本に更新。ドラフト最注目の野手としてその名を轟かせた。

ドラ1入団…タイガース世代交代の象徴に

 2015年ドラフトでの“事件”も高山のキャリアを色濃く彩った。阪神と競合したヤクルト・真中満監督はハズレくじを誤認して早々にガッツポーズを披露。それを見た阪神・金本知憲監督もくじを確認しなかったため、運営もヤクルトをコールした。結果的に「交渉権」は隣にいた金本監督が持つくじに明記されていたわけだが、それぐらい力むほどの選手だったということだろう。

「単純に嬉しかったですけど、たぶんあの瞬間は僕が一番とまどっていたと思います(笑)。阪神の1位ということで周囲からいろいろ言われましたけど、東京の高校・大学で育ってきた自分からすればいまいち(阪神の)熱量はわかっていなかった。プロ入りしてからも阪神を特別意識したことはなかったです」

 2016年は金本監督が「超変革」を掲げた1年目。高山は世代交代を推進するタイガースの象徴的存在だった。

「金本さんにはシーズンに入ってからもご飯に連れて行ってもらいました。全体練習の前から直接指導もいただいて。アドバイスは技術的なことが多かったですね。北條(史也)や横田(慎太郎)、江越(大賀)さん、中谷(将大)さんとか若い野手で(切磋琢磨していく)というスタートだったのでたくさん練習をやった記憶があります」

 プロ1年目のキャンプは大学時代に負った右手有鈎骨の骨折の影響で出遅れたが、「1番」での開幕戦スタメンの座を勝ち取った高山はいきなり第1打席で中日左腕・大野雄大から左前安打を放った。5球目の外角低めのストレートを逆方向に運び、持ち前の選球眼と広角に打ち分けるバッティング技術を見せつける。ちなみに新人野手の開幕戦1番起用は球団としても44年ぶり、さらに開幕戦で安打を記録したのは2004年の鳥谷敬以来という華々しいスタートだった。

【次ページ】 高山「ドラ1という重圧はまったくなかった」

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