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甲子園優勝、阪神ドラ1でも「自信がなかった」高山俊(32歳)が今明かすタイガースの8年間…阪神を背負うはずだった“天才”に非情な戦力外通告 

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谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/08/27 11:04

甲子園優勝、阪神ドラ1でも「自信がなかった」高山俊(32歳)が今明かすタイガースの8年間…阪神を背負うはずだった“天才”に非情な戦力外通告<Number Web> photograph by JIJI PRESS

明治大学からドラフト1位で阪神に入団した高山俊

高山「ドラ1という重圧はまったくなかった」

 新人王になった2016年は134試合の出場で打率.275、136安打、8本塁打、65打点を記録。猛打賞通算13回は長嶋茂雄による新人選手としてのNPB記録(14回)に次ぐ数字を残した。ただ、これがいずれもキャリアハイの数字となる。曲芸とまで評価された天才的な打撃はなぜ鳴りを潜めたのか。

「(新人王を獲っても)自信がなかったですね。周りにはすごい選手がいて結果に満足している瞬間なんてなかった。常に厳しいことを言われる環境でもありましたから。今思えば、なぜ結果が出ているのかわかっていなかったと思います。2年目はよりチームを引っ張らないといけないという自覚はありましたし、(クリーンアップを任され)より長打を意識したこともありました。でもパワーだけではなく、そもそも何が足りなくて、何が悪かったか、どこに向かわなきゃいけないということが整理できなかった。当時はそれができませんでした」

 心ないヤジ。厳しい記者の目。首脳陣の期待。阪神という伝統球団のプレッシャーがあったのではないか。“言い訳”できる要素がいくつもある中で高山は筆者の問いかけを遮る。

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「ドラフト1位という重圧はまったくなかった。でも、もっと自信をもっていれば良かったのかもしれません。今の若い選手たちを見ていると余計にそう思います」

二軍にいる時間が長くなっていった

 徐々に自分のバッティングを見失った高山は極度の打撃不振に陥り、プロ3年目は1年目の1/3ほど、45試合の出場で終える。矢野燿大監督が就任した2019年は出場試合を105に戻したが、打率.269、5本塁打。次第に二軍にいる時間のほうが長くなった。糸井嘉男、近本光司、佐藤輝明――いちど奪われたポジションはなかなか取り戻せない。

「2020年は(キャンプでMVP獲得も)開幕が遅れて難しいシーズンでもありましたよね。うーん、なんだろうな。なんて言葉にすればいいんだろう。“思い出したくない過去”とかではないんですが、うーん……まあ苦しかったですね」

 本人は「昔から喋るのが苦手」というが、自身が発する言葉の重みを理解している人なんだろうと思う。少し時間が経過した今も、適した言葉はなかなか見つからない。

 2021年はプロ入り後初めて一軍出場が「ゼロ」で終わった。オフには減額制限ぎりぎりの2300万(推定)を提示された。契約金1億円のドラフト1位が思い描いた未来とは程遠いものだった。

「でも、心が途切れたとかは一度もないんです。挫折でもない。野球への向き合い方は変わっていきましたが、周りに影響されることもなかった。何事も自分で決めないと納得できないし、他責になってしまうから」

 二軍生活が続いた2023年シーズン終盤、高山の携帯電話が鳴る。ラーメン屋で注文を済ませたところだった。

《後編に続く》

#2に続く
「電話では話せないから…」阪神ドラ1・高山俊が語る“戦力外通告”の真実「阪神の結果は今も見てますよ」32歳なった天才が新潟で目指す“復帰第1号”

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