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甲子園中止、右肘故障「何のために野球やってきたんだ」ロッテ西川史礁の“17歳の夏”…ドラ1ルーキーが挫折を力に変えた「復活劇」の原点 

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梶原紀章(千葉ロッテ広報)

梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara

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posted2025/08/18 11:01

甲子園中止、右肘故障「何のために野球やってきたんだ」ロッテ西川史礁の“17歳の夏”…ドラ1ルーキーが挫折を力に変えた「復活劇」の原点<Number Web> photograph by JIJI PRESS

野球人生の中でいつも悔しさをバネにしてきた

 事態はさらに悪化し、夏の甲子園大会は中止へと向かっていく。

「2年の夏に負けて、そこから次の夏こそは、とすごく長い期間、厳しい練習を続けてきた。だから最初に出てきた想いは、何のために3年間キツイ練習を死に物狂いでやってきたんやろうということでした」

「甲子園中止」悔しさを押し殺して

 1年夏は先輩たちが甲子園でプレーをする姿をスタンドで見て、「次は自分が」と憧れた。1年の秋に初めてベンチ入り。2年春の選抜では背番号「16」をもらって甲子園の土を踏み、ベスト8進出に貢献した。

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「やっぱり自分たちの代で夏の甲子園に出たい気持ちが強かったです。独特の雰囲気がありますし、小さい時から夢見てやっていた」

 世界が非常事態に直面している中で、他のスポーツ大会も多くが自粛となっていた。非情な決定に思春期の心は揺らいだが、それを表にすることは出来なかった。そういう状況の時だった。

 代替として京都府の独自大会が行われることになった。感染症対策の観点からスタンドには親と最小限の野球部関係者しか入れないという静かな試合だったが、3年生にとってはチームメートと共にプレーが出来る最後の大会であった。

右肘故障…独自大会の出場も断念

「独自大会が開催されると発表になってからは、そこで頑張ろうと思えるようになっていた」という西川だったが、再びショッキングな状況に直面した。練習を再開してすぐに右肘を痛めた。我慢をして1試合だけ出たが、無理だった。

「自分自身も最後は出たかったけれど、バットも振れないし、投げるのも痛い。隠しきれないほど無茶苦茶に肘が痛かった。迷惑をかけられないので結局、試合に出るのは諦めることにしてベンチを外れました」

【次ページ】 「“普通であること”のありがたみ」

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