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甲子園中止、右肘故障「何のために野球やってきたんだ」ロッテ西川史礁の“17歳の夏”…ドラ1ルーキーが挫折を力に変えた「復活劇」の原点
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梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/18 11:01
野球人生の中でいつも悔しさをバネにしてきた
パンデミックによる暗闇に包まれ、追い討ちをかけるように故障に苦しんだ。しかし、西川は自暴自棄にはならずに現実と向き合い、前を向ける強さがあった。
「高校3年の時は思い通りにいかないことが色々あった。どうしよう、どうしようと。でも自分の野球人生を振り返ると中学3年も肘の外側を痛めた。でも、そこからしっかりと治してステップアップできた。だから、今回も下を向くのではなく、前を向こうと。ここで野球人生が終わるわけではない。しっかり治して次のステップで頑張ろうと気持ちを切り替えました」
「“普通であること”のありがたみ」
本格的にスローイングを再開したのはその年の12月。大事をとった甲斐もあり、肘の痛みはなくなった。この期間にウエートトレーニングで身体を鍛える大事さを感じ、青山学院大学に進学後は本格的な肉体改造にも取り組んだ。その結果、大学3年時からレギュラーに定着。大学野球を代表する選手となり、2024年3月には欧州代表戦で大学生ながら侍ジャパンのメンバーに入り安打を記録。ドラフト注目の選手にまで上り詰めた。
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「肘が痛くないのって、こんなに幸せなことなんやなあと思いました。コロナで野球が出来ない日々も、今までは当たり前と思っていたことって決して当たり前じゃないんだなあと。今でも結構、あの時を振り返ります。普通であることのありがたみを強く知った時期だったなあと思います」
ある日の練習前、ZOZOマリンスタジアムの選手食堂にあるモニターには球児たちが甲子園で躍動する姿が映し出されていた。それを嬉しそうに見つめながら、西川はしみじみとそんな話をしてくれた。
ルーキーイヤーは挫折の連続
プロ1年目はオープン戦こそ好調で幸先のいいスタートを切ったが、その後は挫折の連続だった。2度の二軍落ちを経験し、打率は.132まで落ち込んだこともあった。
「なかなか思うようにいかなくて、正直、野球をやるのが嫌になりそうなこともありました。辛いし苦しかった」


