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甲子園中止、右肘故障「何のために野球やってきたんだ」ロッテ西川史礁の“17歳の夏”…ドラ1ルーキーが挫折を力に変えた「復活劇」の原点
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梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/18 11:01
野球人生の中でいつも悔しさをバネにしてきた
そんな二軍で熱心に指導をしてくれたのがサブロー・一軍ヘッドコーチ(当時二軍監督)だった。「とにかく振るぞ」。開口一番、そう言われた。全体練習後も試合後も、室内練習場でいつもボールをトスしてくれた。「オマエのスイングならポイントが近くても打てるから」と、前で打つのではなく引き付けて打つことを指導された。結果、ボールを長く見ることが出来るようになり打撃の精度が格段に上がっていった。
そしてもう一つ。「詰まることを恐れるな」と教わったことを大きなテーマとして取り組んだ。西川が解説する。
「いつも完璧に打とうとすると肩が開いてバットが遠回りする。詰まるのを恐れて芯でインコースを打とうとすると外の変化球が打てなくなる。サブローさんの言葉を信じて取り組みました」
宗山、渡部…同じルーキーの活躍も刺激に
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一軍昇格後はどんな時も自分の形で打つようになり、結果、逆方向に詰まりながらのヒットも増えた。「ああいう汚いヒットも自分の持ち味」と今の西川は自信を持って言う。
同じルーキーでは春先からイーグルス宗山塁内野手、ライオンズ渡部聖弥外野手が躍動していた。
「同じ新人の選手たちが活躍をしていて歯がゆさが毎日あった」と西川。2人が出場したオールスターの試合は、悔しさを押し殺してあえてテレビ観戦した。「凄い選手の集まり。見てなにか得ようと思った」と話す。
7月30日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)では初めて4番に座り、左翼にプロ1号本塁打を放った。プロ入り55試合目、202打席目で生まれた待望のアーチだった。8月16日時点でマルチ安打は実に24回。打率も大きく上げ、打線の中軸を任される試合が増えている。苦しみから逃げず、真正面から立ち向かった成果だといえる。若者はこれからも様々な壁にぶち当たりながらもそれを打ち破り、さらに成長を続けていくだろう。



