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甲子園の魔物「あかん、俺もあかん」大阪桐蔭・中田翔が焦り「すいません…」優勝したのに涙の謝罪・堂林翔太…松井裕樹は「肩が重いので」
posted2025/08/17 17:00
甲子園の舞台では、その後プロで活躍した選手にも様々なドラマがある
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Nanae Suzuki
中田翔と大阪桐蔭が焦った“早実・斎藤佑樹”
<名言1>
焦り出したんですね、皆が。あかん、俺もあかん、と。
(中田翔/Number734号 2009年7月30日発売)
◇解説◇
「今のような甘い球に手を出さない時点で終わってますね。そんなに球速もないし、真ん中寄り。あれに手を出さない時点でピッチャー有利ですよ」
2006年8月12日、怪物スラッガーの前に立ちはだかったのは早稲田実業のエース斎藤佑樹だった――。
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大阪桐蔭の4番として打席に立った中田は、斎藤から3三振を喫した。当時2年生だった中田は斎藤を「ノーマークでした」と振り返る。
「自分たちの力を普段通り出せば手こずるピッチャーではないだろうと周りも言っていたし、自分もそう思っていました」
1回戦でセンバツ優勝の横浜に大差で勝利したチームは「天狗になっていた」と率直に認める。しかし実際の対決では、心理的な要素が明暗を分けた。第1打席に投じられた146kmのストレートは顔の脇を通過するボール球だった。
「力んでしまっていただけだと思います。そうでなかったら、あんなボールに手を出すはずもない」
大阪桐蔭のベンチは番狂わせが起きる典型的な状況に陥っていた。
「『何か俺のスイング、いつもとちゃうなぁ』という言葉が漏れてきて、焦り出したんですね、皆が。あかん、俺もあかん、と」
そして中田自身も集中できていなかったことを、こう認めていた。
「スライダーが来るんじゃないか、とか、また三振するのは嫌だな、とか、色んなことに気をとられていました」
松井裕樹は142球完投後の連投で…
<名言2>
肩が重かったので、気持ちだけで放っていた。
(松井裕樹/NumberWeb 2012年8月20日配信)
◇解説◇
2012年の甲子園で一躍脚光を浴びたのは、桐光学園の松井裕樹だった。1回戦の今治西戦では22奪三振の大会記録を樹立。その後も必殺の「消えるスライダー」で三振の山を築き続ける。入団した楽天、そして現在所属するサンディエゴ・パドレスでも見せる奪三振能力の高さを、いかんなく発揮していたのだ。そんな「ドクターK」こと松井への挑戦権を得たのは、大会屈指の強打を誇る光星学院だった。

