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「木内のじいさんの涙の芝居で、頑張ろうと(笑)」名将・木内幸男マジックでPLを撃破…取手二高の甲子園優勝メンバーだった現監督は「もう一度取手を元気に」

posted2025/08/20 11:01

 
「木内のじいさんの涙の芝居で、頑張ろうと(笑)」名将・木内幸男マジックでPLを撃破…取手二高の甲子園優勝メンバーだった現監督は「もう一度取手を元気に」<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

「木内マジック」と呼ばれた采配で公立校の取手二高を甲子園優勝に導いた木内監督。同年の秋に木内監督は常総学院高に移り、それ以来取手二は甲子園に出場していない

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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1984年、桑田・清原を擁する高校野球史上最強のPL学園に土をつけ、茨城県に史上初の優勝をもたらした公立校、取手二高。現在監督を務める当時の優勝メンバーに、いかにしてPLを攻略したのか、名将・木内幸男監督の勝負師ぶりを聞いた。〈全2回の2回目/はじめから読む

 茨城の公立校である取手二高を初の全国制覇へと導いた「じいさん」こと木内幸男は、間違いなく策士だった。1984年春の選抜で過去最高の8強に進出。さらに上へと進むため、名将は役者顔負けの芝居を打った。

「もう来なくていい!」と言われ……

 5月に行われた春の関東大会。法政二(神奈川)に初戦サヨナラ負けを喫したナインに反省を促すため「1週間練習しなくていい」と命じた。すると、タガが外れたように遊び呆ける選手が続出。木内はたまらず「レギュラーに休みをやるとは言ったが、補欠にやるとは言ってねえ。もう来なくていい」と言い放った。

 現在、取手二を率いる下田和彦が当時を振り返る。

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「じいさんが言った言葉を『全員来なくていい』という風に受け取って、『じゃあ行かないよ』と。次の日から1週間ボイコットしました」

 グラウンドからナインの姿が消え、2週間が経過しようとしていた。木内と3年生はグラウンドの中堅フェンス裏で対峙した。

「じいさんが『お前らがいなくなったらどうするんだ!』と涙声で、主将の吉田剛(近鉄、阪神)に抱きついたんです。あれは絶対に泣いている振り、芝居です(笑)。ただ、監督のああいう姿を見て、もう一回頑張ろうという気持ちになったのは事実です。じいさんは選抜で8強に入って天狗になっていたチームを『一回壊す』と言っていたようです。結局は全部、じいさんの作戦通りでした」

PL学園に完敗

 6月にはボイコット明けのなまった体で招待試合を戦った。相手は、桑田真澄(巨人、パイレーツ)、清原和博(西武、巨人など)の2年生「KKコンビ」を擁するPL学園(大阪)。2カ月後、夏の甲子園決勝で戦うことになる名門との“前哨戦”は、清原にバックスクリーンへ特大本塁打を叩き込まれ、桑田に1安打完封を許すなど、0対13と完膚なきまでに打ちのめされた。

【次ページ】 木内監督の思惑通りに

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