甲子園の風BACK NUMBER
「100人いた野球部員が15人まで減少」高校野球“消えた名門”箕島高校の今…地元の人が「昔は強かったみたいですね…」甲子園優勝4回、奇跡の公立校に何が?
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曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byNumberWeb
posted2025/08/18 11:20
春夏合わせて4回甲子園優勝している名門・和歌山県立箕島高校(有田市)
《それは真夏の出来事だった。
夏でなければ起きなかったかもしれない。夏は時々、何かを狂わせてみたりするのだから。》
狂っていた「何か」の代償を支払うかのように、翌年以降、箕島は神がかり的な勝負強さを喪失した。1979年の夏を最後に、全国の頂点に立っていない。最後の甲子園出場は2013年の夏。1回戦で山梨県代表の日川に2対4で敗れた。
「昔は強かったみたいですね…」
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近年の状況はさらに苦しい。2023年夏の和歌山大会2回戦で勝利して以降、2025年の春季大会まで公式戦6連敗。全国大会や近畿大会への出場はおろか、和歌山県内でも勝てない。全盛期に約100人いた野球部員の数は、2023年には一時12人まで減少した。今年も夏の県大会を終えて3年生が引退した時点で、部員数はわずか15人。苦境はなおも続いている。
かつての名門に、いったい何があったのか。
箕島駅から徒歩圏内の日用品を扱う個人商店で、往年を知る女性店主に話を聞いた。尾藤公監督と同時期に箕島高校に在籍していた後輩だという高齢の店主は、春夏連覇を達成したあの夏の空気をはっきりと記憶していた。
「そらすごかったねえ。駅前からパレードやって、このあたりの人らがみんな集まって。何人おったんやろうね。あれは忘れられん。甲子園にも何度も行きましたよ。あのころ、箕島の野球熱はすごかった。いまじゃ考えられんけどね」
駅北側の山の斜面に広がるみかん畑の緑は、おそらく半世紀前とそう変わりないだろう。だが、あの奇跡から46年後の夏、箕島の街にはパレードの余韻も残滓も見当たらない。駅と有田川を結ぶ箕島停車場線の人通りはまばらで、シャッターを下ろした店も多い。
どこかの民家の軒先にかけられた風鈴の音さえ聞こえてくるような静けさと、不釣り合いに強烈な夏の陽射しに焦りを覚えて、目についたカフェに入る。注文したアイスコーヒーを待ちながら、先の店主よりもはるかに若い世代の店員に「箕島といえば野球、ってイメージはありますか?」と問いかけてみた。


