甲子園の風BACK NUMBER
「てめえら、舐めてると殺すぞ!」甲子園常連校で壮絶な上級生の暴力「寮生活はまるで監獄」…高校野球「消えた名門校」沖縄水産“80年代の悪しき風習”
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byOkinawa Times/KYODO
posted2025/08/06 11:05
沖縄水産を2度の甲子園準優勝へと導いた栽弘義。その一方で、苛烈な指導方針への批判も多かった
強烈なビンタ、容赦ない暴言…栽弘義のスパルタ指導
1990、91年と2年連続で甲子園準優勝を果たしたチームの素顔はまるっきり正反対だった。90年のチームは個性が強く、唯我独尊タイプのヤンチャな人間が集まったため、栽はあまり縛り付けず、野獣のようなパワーを最大限に発揮できるようにあえてタガを緩めて操縦した。
ただ、89年世代が夏の県大会準決勝で敗れ、翌日の新チーム初日の練習を始める前、栽は2年生全員に強烈なビンタを食らわせている。前夜、寮で2年生が「決起集会」を開いたため翌日の練習時間に遅刻し、全員が浮腫んだ赤ら顔だったからだ。「貴様ら!」。栽の怒りは沸点に達し、グラウンドは地獄絵図と化した。
個性派集団の90年世代は、サイドスローからのシュート、スライダーを武器にしたエース・神谷善治を中心に甲子園で勝ち上がっていったものの、天理との決勝戦は1対0で惜敗。準優勝に終わった。
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反対に91年世代は多くの選手がしっかり者で、集団としてまとまりやすい傾向があった。一方で、90年世代ほどの個性はなかった。栽は彼らにすさまじいスパルタ指導を施した。発奮させるつもりで、こんなことまで口にしたという。
「馬は育てりゃ駿馬になるが、牛は育てたって馬にはならんのだよ。おまえたちは弱い。最悪のチームだ。適当にやって引退しなさい」
2年連続準優勝を経験した91年世代のキャプテンで、現在は沖縄水産のコーチとして指導にあたる屋良景太が振り返る。
「上の世代が甲子園で準優勝したからって、すべてが凄いわけじゃない。俺たちの世代はここが足りないね。でも、いいところは残そうよ、って。先輩たちだってルーズなところが絶対あったんですよ。先輩たち、ここをちょっと疎かにしてたよね、と。ひとつ上の世代は個々のレベルが上だったので、それをどう補うかと考えたときに、チームワークだと思ったんです」
このチームワークの求心力となったのが、エースの大野倫だった。身長180cmを超える本格派投手として1年夏からベンチ入り。各中学の4番でエースだった同級生たちは、大野が入学時に投げた140km超のストレートを見て即座にコンバートを決めた。「倫がいれば、甲子園優勝も狙える」――そう思わせる希望の星だった。だが、その大野が悲劇に見舞われることになる。
<続く>

