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甲子園の風BACK NUMBER
「大社高校、今年は出てないのか…」島根“ほぼ出雲市出身の公立校”が早稲田実業に番狂わせ→ベスト8…旋風から1年、大社の今は? 現地記者が密着
text by

井上幸太Kota Inoue
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/07 06:00
昨夏の甲子園でベスト8に導いた大社・石飛文太監督
今夏も劇的な試合あった
大社は春に準優勝したことで第2シードを獲得した。が、今夏の島根大会はノーシードの有力校が複数存在し、県内の高校野球関係者の間でも「組み合わせ次第で、大会の動向がガラッと変わる」とささやかれた。
そして、組み合わせ抽選の結果、大社のゾーンは、ノーシードながら優勝を狙えると目された浜田、石見智翠館という実力校が入り込む“最激戦区”に。それでも、前年の旋風を思わせる好勝負を演じていく。
3回戦で浜田と激突。最速150キロの本格派右腕・山田玲を擁する難敵だ。
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大学進学が濃厚ながらも、最終確認をしようと視察に訪れたプロ球団のスカウトのスピードガンで150キロをたたき出すなど、この日も山田の直球は走っていた。だが、タイブレークに突入した延長10回、大社は、相手のバッテリーミスで無死二、三塁とした直後、主将である安井貫太がスクイズを決め、3-2でサヨナラ勝ちを収めた。試合後、石飛がゲームプランを明かした。
「(終盤まで)0-0でいくと思っていました。0-0でタイブレークに入ったら、最初からランナーがいるから、そこで1点取ればいいと。山田君を打てなくても0-0でいけばウチのペース。相手も相手で自分たちのペースと思うかもしれないけど、ウチの野球をやればいいんじゃないかって」
「ウチの野球」。すなわち「大社の野球」。石飛が描いていた勝利への道筋を聞くと同時に、昨夏が終わって間もないころに聞いた「大社の野球」についての話がよみがえった。
「大社の野球」とは?
夏の甲子園の戦いの振り返りを聞いている最中、石飛から「大社の伝統と聞いて、何かイメージできます?」と逆質問を受けた。私が答えに窮するやいなや、石飛が言葉を続けた。
「すぐは出てこないですよね。でも、これが『広商(広島商)の伝統』や『広商の野球』だったら、皆さんすぐに答えられると思うんですよ。バントを駆使した手堅い攻撃、緻密な走塁とか。でも、『大社の野球』ってイメージないじゃないですか」
大社野球部は1901年に創部され、120年を超える歴史を持つ伝統校だ。しかしながら、石飛の言うように、脈々と受け継がれてきた確固たる「大社の野球」があるかといえば、すぐには思い浮かばなかった。私が見てきた中でも、投手力を前面に出した時期もあれば、打撃に比重を置いた時期もあり、その時代、時代の指導者の色が反映されていたように思う。その中にあって、石飛が掲げたのが「1点にこだわる野球」だった。
〈つづく〉

