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阪神はなぜ掛布雅之以降“高卒野手”が育たない? 名スカウトがため息「阪神の1位はしんどい…(大卒の)鳥谷敬のような強さは高校生には難しいよ」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2025/08/04 17:03
「ミスタータイガース」掛布雅之以来、高卒野手で掛布に迫る成長を見せた選手は現れていないのが実情だ
選手が自ら育つ環境は作れているか
掛布の高卒1年目、1974年は83試合で打率.204、3本塁打。これが2年目の1975年には、106試合で11本塁打、打率.246とステップアップし、3年目の1976年に打率.325でセ5位、27本塁打を放ち、初のベストナインに選出されている。
谷村は、若き掛布が飛躍していくその姿を、間近で見ていたのだ。
「育てる、育てるって、よく言葉は出て来るけど、自分で努力して育たなあかん。それが本当に、自分の財産というか、野球での財産になるんとちゃうかな」
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そのための環境を整えるのが球団、選手はその場で“育っていく”必要があるのだ。
阪神のドラ1という重圧
逆指名/分離ドラフト時代の1993年から2007年まで、高校生の野手を1位指名したのは97年の捕手・中谷仁(和歌山/智辯和歌山高)、2006年の内野手・野原将志(長崎/長崎日大高)、2007年の高浜卓也(佐賀/横浜高)だが、3人とも1軍での目立った活躍のないまま、現役生活を終えている。
「やっぱり、高校生がなかなかうまくいかないんだよ。高校生をどういう風にもっていくか。心の強さとか、何かこう、特に持っているとかなんだけど、高校生に“それ”をというのは、すごく難しいことなんだよな。ウチの場合は、ましてや1位で行くのなら、注目度がはっきり言って違うわけだから、やっぱり図太いとか、神経の太いのでないとね」
まさにこの時代に阪神のスカウトを務めた菊地敏幸が指摘するように、阪神のドラフト1位という「看板」の重さに耐えられるだけの「精神力」が、成功へのキーファクターになってくるというわけだ。

