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「監督に適してないんじゃ」阪神電撃トレードで見た天才型・吉田義男vs思考派・野村克也、指揮官として決定的な差とは…江本孟紀がズバリ
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江本孟紀Takenori Emoto
photograph byKyodo News
posted2025/07/20 11:01
南海から阪神に移籍した江本孟紀。リーグが変わって驚いたこととは
もちろん、巨人の王さんや広島の山本浩二さん、ヤクルトの若松勉、横浜大洋ホエールズ(現・DeNA)の松原誠さんといった一流打者もいる。しかし、相対的に見ると、パ・リーグのほうがスイングが鋭い打者が多いと感じた。
それまでのセ・リーグは巨人、次いで阪神が実力的に抜きん出ていた。ほかの4球団はお荷物的な要素が強かったのであるが、古葉竹識さんが広島の監督に就任すると、「赤ヘルブーム」とともに巨人、阪神をしのぐ力を発揮するようになっていた。古葉さんはもともと南海に在籍していて、野村さんの野球を間近で見て学んできた。広島はセ・リーグに所属しているものの、パ・リーグ仕込みの野球をやっていたセ・リーグ唯一のチームだったのだ。
広島は山本さんが1986年に引退するまで、つねに優勝候補の一角に挙げられていた。中心選手が機能しているところに、パ・リーグ仕込みの野球を取り入れたことで、それまで弱小のお荷物球団といわれた広島が「常勝カープ」とまでいわれるようになったのだ。
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私が阪神に移籍して1年目のときは、広島に負けず劣らず強かった。打撃陣に目を向けると、田淵さんが39本、マイク・ラインバックが22本、ハル・ブリーデンが40本、入団3年目となる当時はまだ若手の掛布雅之が27本と、彼らを中心に当時のチーム新記録となる193本塁打をマーク。まさに強力打線と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。
しかし、チーム成績は前年最下位に終わった巨人が阪神と激しい優勝争いを見せ、終わってみれば、阪神は優勝した巨人と2ゲーム差を離されての2位に終わる。
江夏を超える15勝を挙げて優勝争いに加わったが
かくいう私も、この年、トレード1年目に15勝9敗という成績を上げた。トレードの交換相手だった江夏が南海で6勝12敗に終わったことを考えると、チームの勝ちに貢献できたのではないかと自負している。吉田さんは、いまも「そのときは、ありがたかった」と話してくれた。
翌年以降も、さあ頑張るぞ、と当時は意気込んでいたのだが、チームは徐々に低迷していき、俗にいう「暗黒時代の入り口」に近づいていく。〈つづく〉

