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「徹夜マージャン中に突然の電話」田淵幸一の阪神→西武電撃トレード決定の夜に同席…江本孟紀が知るウラ話「阪神は2000万円の積み増し要求」
posted2025/07/20 11:03
阪神の主砲として活躍した田淵幸一だが、西武への電撃トレードを経験することになる
text by

江本孟紀Takenori Emoto
photograph by
Kyodo News
徹マン中に決定した田淵幸一さんのトレード
田淵幸一さんは私にとって法政大時代のひとつ上の先輩で、優勝ゲームでバッテリーを組んだこともある。おおらかな性格で、当時は先輩・後輩の上下関係が厳しい大学野球界において、後輩にはやさしい先輩だった。そんなこともあって、私たちの同級生のなかで田淵さんの悪口を言う者は誰ひとりとしていなかった。
じつは田淵さんのトレードが発表された1978年11月15日は、私と古澤憲司と田淵さんを交えて、堺の私の親戚の家でマージャンに興じていた。夜11時半が過ぎようとしていたころ、この家の電話が突然鳴り響く。
出ると、田淵さんの奥さんから、「すぐに帰って球団に来るように」との電話だった。受話器を握った田淵さんは驚いた表情で、黙ってうなずいて電話を切り、
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「いまから球団事務所に行ってくる」
と言って車で帰っていった。その後ろ姿を見送ったが、寂しそうだった。やはりトレード話で呼ばれたのだ。
トレード先は西武だった。そして、西武の新監督に就任するのは根本陸夫さん。法政大の大先輩だった。まさかのトレードだった。
「いったい、阪神の情報管理はどうなっているんだ」
この出来事からさかのぼること6時間前のこの日の夕方、マージャンを始める前に、
「田淵さんは将来の幹部、首脳陣になるんです。オレらが支えていきますから、来年は今年以上に頑張ってチームを引っ張っていってくださいよ」
などと田淵さんに対して檄を飛ばしていた。田淵さんも、
「わかっているよ。オレも打つほうだけじゃなくて、守るほうでも貢献していくから」
と決意を新たにしていたのだ。それがこのトレード話ですべてがぶっ飛んでしまった。
このときのトレードのいきさつは、関西マスコミと阪神らしく、田淵さんより先にマスコミに情報が知れ渡っていたのだ。「いったい、阪神の情報管理はどうなっているんだ」と憤ったが、あとの祭りである。

