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「江夏豊と厄介者同士」の電撃トレード…江本孟紀が明かす南海→阪神移籍ウラ事情「野村克也さんに“面倒くさいヤツだな”と疎まれた」

posted2025/07/20 11:00

 
「江夏豊と厄介者同士」の電撃トレード…江本孟紀が明かす南海→阪神移籍ウラ事情「野村克也さんに“面倒くさいヤツだな”と疎まれた」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2010年の江本孟紀と野村克也。南海時代の“電撃トレード通告”の真相とは

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江本孟紀

江本孟紀Takenori Emoto

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Sankei Shimbun

2025年、阪神タイガースはセ・リーグ首位を快調に走っている。しかしさかのぼること30~40年前は「暗黒時代」の真っただ中にいた。1970年代に電撃トレードで阪神に入団した“エモやん”こと江本孟紀氏が明かす当時のウラ話を『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)から一部転載でご紹介します。〈全9回。第2回につづく〉

阪神へのトレードを伝えた野村克也さんの言葉

 私自身、東映から1年目のオフに南海にトレードで行くことは青天の霹靂だった。即戦力ルーキーが他球団に移籍した事例は私をおいてほかにないというが、このトレードによって野村克也さんとの出会いがあったわけだから、私のプロ野球人生はいい方向に動いたといえる。

 だが、それ以上に驚いたのが、のちの阪神へのトレードだった。当時のことはいまでもよく覚えているが、これが私のプロ野球人生を大きく変えたといっても過言ではない。

 あれは1975年12月に南海の選手会で主催したゴルフコンペでのこと。その日の私はスコアもよく覚えていないほどゴルフはヘタクソだったが、プレー後の表彰式で、野村さんの背番号にちなんで19位を「監督賞」にしていたのだが、私にそれが当たったのだ。副賞を見ると真っ赤なドレスが置いてある。

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「えっ、これなの!?」

 なんとも恥ずかしい思いがして、複雑な表情をしながら、野村さんから賞品の目録を受け取ると、野村さんが「あとで話がある。ちょっと残っておけ」と耳打ちしてきた。私はてっきり賞品を渡してくれるのだろうと思いきや、開口一番、「旅に出てこいや!」と言った。私がキョトンとした表情をしていると、「お前さんのトレードが決まった」と言うではないか。

 私が「どこですか?」と聞くと、「阪神や」と野村さんは返した。後日聞けば、あの江夏豊が南海に来て、その交換相手に私が選ばれたというのだ。

なぜ阪神に行くことに…思い当たるフシが

「あの江夏がトレード相手か」と複雑な心境だった。

【次ページ】 沙知代さんの存在、野村さんに直談判後のトレード劇

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