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「3年間タダ飯…申し訳ない」家を建てたのに“山田久志と確執”でトレード志願「じつはオリックスと年俸を折半」山崎武司の中日電撃退団ウラ話
posted2025/07/07 11:01
2002年の山崎武司。慰留された山田久志新監督との関係が折り合わず、このシーズンオフにトレード志願することに
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Kyodo News
中日FA残留…家も建てたのに1カ月で見切られた
9割以上固まっていた横浜へのFA移籍は幻に終わった。中日の新監督に就いた山田久志の言葉で残留を決めた山崎武司は、新たな気持ちで2002年のキャンプインを迎えていた。
「チームに必要な存在と山田さんに言ってもらってドラゴンズに残り、心機一転キャンプに臨みました。気持ちは完全に切り替えられていました」
FAの契約金と3年契約を手にして、新築で家も建てた。中日には家を建てるとトレードされるジンクスがあったが、山崎は「3年契約を結んでいるから、自分には関係ないと思っていました。子どもたちも大きくなったので、大きな家を買って、家族のために頑張ろうと意気込んでいました」と気にしなかった。
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主砲として打線を引っ張り、山田を胴上げする――。目標は明確だった。前年までと違い、モチベーションも高かった。しかし、やる気に満ちた気持ちとは対照的に調子が上がらない。オープン戦は絶不調で、感覚を取り戻せないままシーズンに入った。
山田から“見切り”をつけられるのは早かった。シーズン開幕から1カ月後、早々に二軍行きを命じられた。山崎は驚きを隠せなかった。
「調子が悪くてスタメンを外されることは今までもありましたが、4月の段階で戦力から外されたのは初めてでした。プロの世界なので、成績を残せなかった自分が悪いのは言うまでもありません。ただ、シーズンオフに『頼むからチームに残ってくれ』と頭を下げられた時の山田さんの言葉は上辺だけだったのかもしれないと感じてしまいました」
3年間タダ飯だな…ドラゴンズに申し訳ない
山崎と山田の関係が修復不可能となったのは、シーズン中盤だった。7月に入って一軍へ昇格した山崎は、7月26日の阪神戦で9回1死満塁の場面で打席に立つ。一打出れば勝ち越しのチャンスだったが、結果は三振。その裏にチームはサヨナラ負けを喫した。山田は試合後、報道陣に対して次のようにコメントした。
「チームを奈落の底に落とす選手がいる」
山田は選手を名指ししていなかった。ただ、翌朝の新聞で指揮官のコメントを見た山崎は、自分への批判と受け取った。そして、球場で「あれは自分のことですよね?」と直接問いただした。山田から「そうとも限らない」という答えが返ってくると、山崎の気持ちは切れたという。

