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「失礼極まりないよね」契約更改で怒り→ベイスターズ移籍直前、妻に見抜かれた本塁打王の本心…なぜ“生涯中日”から一転トレード志願したか
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間淳Jun Aida
photograph bySankei Shimbun
posted2025/07/07 11:00
2001年のプロ野球FA解禁初日、中日フロントと朝一で話し合った山崎武司。ユニフォーム姿でのFA交渉は珍しいものだった
中日でヘッドコーチと投手コーチを兼任していた山田久志が、星野仙一からバトンを受けて新監督に就任。秋季キャンプで、山崎は山田から監督室に呼ばれた。
「山田さんに『チームに残ってほしい』、『一緒にやろう』と頭を下げられました。通算284勝もしている大投手が、自分なんかのために頭を下げるのかと。心を打たれましたね」
横浜移籍か、中日残留か。山崎は悩んでいた。しかし、妻の寿代さんには本心を見抜かれていた。どちらの球団を選ぶか考えていると、声をかけられた。
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「もう心の中では決まっているんでしょ。自分の好きなようにすればいいんじゃない」
山崎は胸の内を妻にも明かさず、一人で考え込んでいた。横浜移籍で90%以上決まっていた気持ちは、山田からの言葉で確実に変わっていた。山崎は「横浜からの誘いはうれしかったですし、ドラゴンズへの不信感は消えていませんでした。でも、誰にも言えませんでしたが、山田さんに頭を下げられてドラゴンズに残らなければいけないという使命感が強くなっていました」と語る。
寿代さんだけは、会話を交わさなくても心の変化に気付いていた。
生涯中日のはずが、なぜ1年後…
妻に背中を押されてから何日か経ち、山崎は横浜の球団社長に電話した。
「大変光栄なお話でしたが、ドラゴンズで頑張ります」
横浜に断りの連絡を入れ、中日残留を決めた。移籍は幻に終わり、“生涯中日”は揺るがないはずだった。
だが、わずか1年後に別の球団のユニフォームを着ることになる。〈つづく〉

