プロ野球PRESSBACK NUMBER
「巨人には100%行かない。そんなバカじゃない」星野仙一の発言に渡辺恒雄は怒った…ペタジーニと中村紀洋“争奪戦”、ノリの「阪神内定」なぜ消えた?
posted2025/07/08 11:04
2002年オフ、中村紀洋争奪戦に巨人と阪神が名乗り。だが結果は…
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
「神様、仏様、バース様」と猛虎ファンが歓喜した日本一から2年後、阪神は最下位に沈む。暗黒期に突入した1987年以降、“伝統の一戦”は急激に色褪せていった。輝きを取り戻したのは、2003年以降である。分岐点は、この前後に繰り広げられたFAやドラフトでの阪神と巨人の熾烈な争奪戦にあった――。
02年、阪神は星野仙一監督のもと前年まで4年連続の最下位から脱出。巨人は原辰徳監督の見事な手腕で日本一に輝いた。その翌々日、球史に残る激動のストーブリーグが始まった。
ペタジーニ獲得を諦めた瞬間
11月1日、巨人・松井秀喜がFAでメジャーリーグ移籍を目指すと表明。その前後には広島・金本知憲、近鉄・中村紀洋がFA宣言。8日には、ペタジーニとヤクルトの交渉が決裂した。
ADVERTISEMENT
巨人は松井の抜けた穴を埋めるべく、ペタジーニと中村の両獲りを画策。渡辺恒雄オーナーは〈中村君が巨人に来るなら髪を黒くしてきてほしいね。条件はたった1つ〉(02年11月2日付/日刊スポーツ)と語った。血の入れ替えを断行する阪神はどうするのか。久万俊二郎オーナーはこう述べた。
〈金本、ペタジーニが一番いい〉〈理詰めでいえば(中村獲得は)ペタジーニの成否次第ということですね〉(02年11月13日付/デイリースポーツ)
阪神は金本との交渉で好感触を得ると、超優良助っ人の獲得を目指した。ペタジーニは99年の来日以降、松井と毎年ホームラン王を争い、4年で2度のキングに輝いていた。屈指のスラッガーに中日、横浜、阪神、巨人が触手を伸ばした。黒田は13日、渉外部の三宅徹部長をペタジーニの故郷・ベネズエラに派遣した。
「巨人が来ました…」「帰って来い」
だが、現地に入った途端、三宅は黒田に慌てて電話を掛けてきた。

