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阪神で24選手“まさかのクビ宣告”…戦力外を告げた本人明かす“星野仙一に任命された日”「お前は、北海道から沖縄まで評判が悪い。なんでや?」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/08 11:00
2002年オフ、阪神は24選手を解雇し、「血の入れ替え」を行った。戦力外を告げたのは当時編成部長、黒田正宏だった
「ノムさんが『俺は恍惚やから』と言ったの。自分は老いているから、バトンタッチしたいと。たしかに、当時は30代で野球をできる人って不思議やったからね」
同年、野村は130試合にフル出場し、打率.295、42本塁打、114打点を挙げた。だが、翌年36歳を迎える兼任監督は、否が応にも後釜を考えなければならなかった。黒田は南海への入団を決めた。
すぐには、出番は回ってこなかった。それどころか、野村在籍の7年間、黒田の出場はわずか67試合に留まった。
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「トレードの申し込みがたくさんあったんですよ。近所に住んでいた阪神の吉田(義男)監督から『今から野村の家に行って、お前もらってくるわ』と言われましたから。でも、ノムさんが『黒田はやらない』と断った。結局、村上(雅則)と相羽(欣厚)が移籍してます。トレードの話が来るたびに、ノムさんに『……俺が嫌いか』と言われた」
野村克也から信頼「俺が嫌いか?」
南海のコーチ時代、出番のない黒田に「12球団を視野に入れてやれ」と激励した古葉竹識も、広島の監督としてオファーしていた。
野村:古葉から話が来てるけど、どうや。
黒田:行かせてください。
野村:……俺が嫌いか。
「必ずボヤくんですよ。『……俺が嫌いか』って(笑)。広島に行きたかった。当時はね。試合に出たいですから」
77年オフに野村兼任監督が解任され、黒田は正捕手の座を射止めた。それも束の間、79年のドラフト2位で“ドカベン”香川伸行が入団。それでも、黒田は主戦捕手を務めたが、81年オフに転機が訪れる。西武の管理部長・根本陸夫が電話を掛けてきた。
