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「俺は捨てられるのに、何わろてんねん!」横浜→広島トレード通告に木村昇吾は心で叫んだ…それでも「一生懸命な姿を見ていてくれたんだ、と」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/06/25 11:06

「俺は捨てられるのに、何わろてんねん!」横浜→広島トレード通告に木村昇吾は心で叫んだ…それでも「一生懸命な姿を見ていてくれたんだ、と」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

横浜では一軍に定着できなかった木村だが、広島へのトレードで運命が変わりはじめた

 普通に、普通に、普通に——。

 ノックを受けながら心で復唱した。ゴロに対する入り方、キャッチの基本を、いかなる打球であっても体に染み込ませた。ビデオでも撮影してもらい、感覚とズレがあればすぐに修正するほど徹底した。

「昇吾、守備を教えてくれ!」

 這い上がりたい、このままで終わりたくない。もがいているのは自分だけじゃなかった。

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 ある日、2002年ドラフト同期(8巡目)であり、同い年の河野友軌から呼び止められた。二軍で好調をキープしながらも、木村と同じように一軍に定着できない彼からの思いがけない“お願い”だった。

「昇吾、守備を教えてくれ!」

 外野だけでは出場機会を得られないためファーストにチャレンジしようと、仲が良く、境遇も似ていた木村に頭を下げたのだ。いつもユニフォームを泥まみれにする木村の必死さが、河野の気持ちを焚きつけたとも言えた。

「こいつ、凄いな、と思いましたよ。だって僕なら、やっぱりプライドとかが邪魔して絶対に言えないですもん。だから『俺の特守が終わってからだったらええよ』と。最初は僕がノックを打ってたんですよ。『違う、こうやって捕んねん』と言っても、『それじゃ分からん』となるんです。だから2人でゴロを投げ合う形になりましたね」

 2人だけの守備練習はそれから毎日になった。どちらかが10球エラーしたら終わりというルールにし、当然ながらいつも木村が勝っていた。もちろん指導は入っているが、ゲーム形式だからこそ楽しめた。

 だんだんと河野がエラーしなくなり、真っ直ぐ一辺倒からスライダーゴロ、フォークゴロの変化球を交えても対応するようになる。陽が暮れるまで終わらず、栄養士の「石川ちゃん」が差し入れを持ってきて、観客となるのが決まりだった。

青春そのものの特訓

「(二軍監督の)田代(富雄)さんが『お前ら、はよ帰れ』って言いに来るんですよ。僕が『河野がエラーせんのですよ。エラーしろって言うてください』と返すと、好きにやってろみたいな感じで。いやあ、もう青春そのものですよ。試合の日も、やっていました。河野とはライバルというより、学生時代からのツレみたいな感じのノリでしたね」

【次ページ】 ついに一軍で貢献、しかし……

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