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「『何? その打ち方』と笑われても」移籍した広島で30歳のブレイク・木村昇吾が横浜に“恩返し”できたわけ「一軍に残るため…捕手の準備まで」

posted2025/06/25 11:07

 
「『何? その打ち方』と笑われても」移籍した広島で30歳のブレイク・木村昇吾が横浜に“恩返し”できたわけ「一軍に残るため…捕手の準備まで」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

トレードされた広島で、セールスポイントの守備と足のみならず、打撃も開眼し30歳のブレイクを果たした木村

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Hideki Sugiyama

トレードを転機として運命を切り開いた選手のひとり、木村昇吾が語る移籍秘話。カープで守備、代走要員として一軍にくらいつく木村が打撃開眼した、あるきっかけとは。〈NumberWebインタビュー全4回の3回目/前回を読む

 環境を変えることで活躍のきっかけをつかむ。それがトレードにおける醍醐味の一つだ。

 プロ6年目の2008年シーズン、ベイスターズから2対1トレードでカープに渡った木村昇吾は春季キャンプから一軍に帯同。1500m走でトップを張るなど、このチャンスをモノにするべく必死のアピールを続けていた。

 オープン戦も終盤に入っていたころ、監督のマーティ・ブラウンに呼ばれた。

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「何だろうなと思っていたら『ショウゴ、今年1年間、一緒に戦っていくからな』と通訳の人を介して言われました。開幕一軍が決まったかなと感じた一方で、マーティは選手に対して凄くフレンドリーな人なのでリップサービスなのかなとも」

「俺が言ったことを信じていないのか」

 半信半疑のまま迎えた福岡ソフトバンクホークスとのオープン戦。満塁のチャンスで打席に入ったが、初球のど真ん中のボールを見逃してしまう。結局変化球を引っ掛けてアウトに終わると、ベンチに鬼の形相のブラウンが待っていた。

<あの球を見逃すということはプレッシャーで手が出なかったんだろう。打てなかったら二軍に行くとか、余計なことを考えてリラックスしていなかったからだ。練習どおりならイチニノサンでセンター返しだろ。ショウゴは俺が言ったことを信じていないのか!>

 図星だった。が、一つだけ違うとすればプレッシャーというよりもやってやるという気負いのほう。「一緒に戦っていく」は、「レギュラーとして考えている」と木村のなかで変換されていたからだ。

 ブラウンの言葉どおり、木村はずっと一軍に定着することになる。

 ただレギュラーではなく守備固め及び代走要員として。自分の役割をはっきりと理解すると、走塁と守備、2つの武器に磨きを掛けていった。

【次ページ】 守備固めならではの難しさ

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