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「俺は捨てられるのに、何わろてんねん!」横浜→広島トレード通告に木村昇吾は心で叫んだ…それでも「一生懸命な姿を見ていてくれたんだ、と」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/06/25 11:06

「俺は捨てられるのに、何わろてんねん!」横浜→広島トレード通告に木村昇吾は心で叫んだ…それでも「一生懸命な姿を見ていてくれたんだ、と」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

横浜では一軍に定着できなかった木村だが、広島へのトレードで運命が変わりはじめた

「5年間ありがとうございました。目立った活躍はできませんでしたが、カープの赤いユニフォームを着て活躍することが恩返しになると思います。ハマスタで暴れられるように精いっぱい頑張ります」

 岸本は納会で飲み過ぎたのか、声がガラガラで言葉に詰まったとか。それが逆に職員の涙を誘い、酒焼け声になってるだけやんと思いつつ、木村も涙が出そうになっていた。

一生懸命な姿はちゃんと見られていた

 後で知ることになるのだが、実はカープから望まれてのトレードであった。

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 2006年まで横浜の二軍監督を務めた岩井隆之が評価していることをカープの編成グループ長の川端順が聞いて、木村をマークしていたという。

「一軍でチャンスをもらえないときに、岩井さんは『ほかの11球団も見ているんだぞ』と言ってくれていました。一生懸命やっていたから、そうやって気に掛けてくれていたんでしょうね。トレードを告げられてしばらくは、捨てられたという感情しかなかった。カープはショートに梵(英心)、セカンドに東出(輝裕)がいて内野が手薄じゃなかったからまったく想像もしてなかった。

 でも後になって、川端さんが僕のことを追ってくれていたのを知って、望まれたトレードだったんだ、と。振り返ると永川から勝負のあの場面で盗塁を決めたことが、決め手になったのかなって思いました。ベイスターズで全然活躍できなかったのに、岩井さん、川端さん、万永さん……いろんな方に手を差し伸べてもらいました」

 ユニフォームをブルーからレッドに替えて。

 木村昇吾の反転攻勢が始まろうとしていた。

〈全4回/3回目につづく

#3に続く
「『何? その打ち方』と笑われても」移籍した広島で30歳のブレイク・木村昇吾が横浜に“恩返し”できたわけ「一軍に残るため…捕手の準備まで」
この連載の一覧を見る(#1〜4)

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