熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「日本の環境にガク然。ブラジルへ帰ろう」ラモス瑠偉がいなければ…“FC東京のキング”が苦悩した若き日「ディスコに連れ出してくれたんだ」
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byEtsuo Hara/Getty Images
posted2025/06/27 17:01
FC東京時代のアマラオ。日本在住30年を超える名ブラジル人FWに今までと現在を聞いた
「かつて僕を指導したジョゼ・テイシェイラ監督が東京ガスのアドバイザーとなっており、僕のパス(所有権)を持っていたイトゥアーノに年末までの期限付き移籍を持ちかけたんだ」
――これからキャリアのピークを迎えよう、という時期で声を掛けられたんですね。当時、日本へはジーコらブラジル人選手が渡るなど、Jリーグ開幕へ向けて人気が急速に高まっていた。来日前、日本のフットボールについて知識はあったのですか?
「いや、何も知らなかった。ネルシーニョ監督からは『出場機会が増えると思うから、パルメイラスへ残らないか』と引き留められた。でも保証はなかったし、東京ガスから提示された給料がとても良かったから、日本行きを決めたんだ。8カ月間だけプレーしてブラジルへ戻って活躍して欧州のクラブへ移籍し、ブラジル代表入りを目指すつもりだった」
ラモスたちが僕を助けてくれた
ADVERTISEMENT
――それでも1992年時点ではJリーグに参画する意思を示さなかったJFLの東京ガスへ入団しました。どのような環境でしたか?
「人工芝のグラウンドで、膝などに大きな負担がかかるし、クラブハウスもない。練習後、自分たちでユニフォームを洗い、シューズの手入れもしなければならない。当時の日本人選手はほとんどが東京ガスの社員で、プロ選手ではなかったね」
――名門パルメイラスでプレーしたあなたにとっては、環境的に非常に厳しい経験だったのではないでしょうか?
「愕然としたよ。一時は契約を破棄してブラジルへ帰ろうと思った。でも、先に日本へ来ていたラモスたちが僕を助けてくれた」
――すでに日本で実績を築いていたラモス瑠偉たちのコミュニティですか?
「そうさ。塞ぎ込む僕を見てブラジル料理店、ディスコ、カラオケなどへ連れ出してくれた。彼らのお陰で、気分が晴れたんだ」
日本で長くプレーするつもりじゃなかったのに…なぜ?
25歳にしてブラジル有数の名門クラブへ入団したが、好条件に釣られてまだアマチュアだった東京ガスへ期限付き移籍。ただし、日本で長くプレーするつもりは全くなかった。
それが、東京ガスとFC東京だけで12年、他クラブを合わせると17年間プレーし、なおかつ引退後も日本に残って指導者を務めるとは――本人も夢想だにしていなかった。〈つづく〉

