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マリノス移籍寸前、号泣サポーターが直談判「アマラオは必要なんだ!」で涙の急転残留…愛されブラジル人FWが明かす“FC東京ウラ話”
posted2025/06/27 17:02

長年にわたって日本に住み続ける名FWアマラオ。古巣・FC東京への愛を語った
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Yokohama FC
「がむしゃらに走り回り、やみくもに前へ蹴るだけ。基本技術が低く、戦術もない。アマチュアリーグだと知ってはいたが、正直なところ、暗澹とした」
アマラオはブラジルの名門パルメイラスからJリーグ開幕直前ながら、アマチュアリーグであるJFLの東京ガス(現FC東京)へと渡った。そこから日本のトップリーグにたどり着くまでに感じていた、率直な気持ちとは――。
妻と長女が日本に来て好転したんだ
――1年目は16試合に出場して7ゴール。外国人選手としては、やや物足りない成績でした。
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「まあ、5月から年末までの腰掛けのつもりだったからね。シーズンが終わり、ブラジルへ帰国してイトゥアーノへ戻った。ところが、当時、イトゥアーノは財政難に喘いでおり、僕の東京ガスへの期限付き移籍延長を望んでいた。クラブの会長から懇願され、やむなく日本へ戻った」
――やむなく戻った日本でキャリアを積み重ねることになるのだから、不思議なものです。1993年は17試合8得点。その一方で、Jリーグが華やかに開幕し、ジーコ、アルシンドらが活躍して社会現象となりました。
「Jリーグでスポットライトを浴びる選手たちが羨ましかった。でも、1993年に結婚し、妻と長女が日本へ来てから、生活環境が好転した。翌年も東京ガスへの期限付き移籍が続いたが、3年目にして日本での生活とチームに馴染んできて20得点(30試合出場)をあげた。そこで東京ガスから『イトゥアーノからパス(所有権)を買い取りたい』 と言われた。僕も家族も日本での生活に満足しており、引き続き日本でプレーすることを考えていたから、この申し入れを快諾した」
「東京のキング」に当初は抵抗があったけど
――当時の東京ガスのプレースタイルは、あなただけ前線へ残して全員が懸命に守り、ボールを奪うとロングパスを蹴ってあなたが一人で点を取ることを期待する、というもの。「戦術アマラオ」と言われた。これは、あなたにとって負担だったのでは?