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ドジャース「幻の長嶋茂雄トレード獲得」は本気だった…監督が直談判「メジャーでやる気あるか?」じつは“ド軍ユニ”でプレーした日も
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広尾晃Kou Hiroo
photograph byAl Bello/Getty Images
posted2025/06/21 06:00
2003年、ヤンキース松井秀喜と握手する長嶋茂雄。もし彼がドジャースに電撃トレードとなっていたら、日米の野球史は大きく変わっていたのだろう
1番のウィルスは、62年にMLB記録(当時)のシーズン104盗塁。72年に阪急の福本豊が彼の盗塁記録を抜いた時には「俺の記録を抜くな!」とコメントしたことで知られる。3番のウィリー・デービスはMLB通算2561安打の大打者だが、1977年中日に移籍し「ランニング満塁本塁打」を打って日本ファンの度肝を抜いた。6番のハワードは、201cm115kgの巨漢、のちに本塁打王2回、打点王1回を獲得しているが彼も74年に来日し、太平洋に入団したがわずか1試合に出場しただけで退団している。
この年のドジャースの三塁は、新人のワーハス。しかしパッとしなかったのでシーズン後半には二塁のベテラン、ジム・ギリアムが三塁に回っている。なおワーハスも71年に大洋でプレーしている。
「メジャーなら僕は中距離打者でしょうかねえ」
つまり、この年のドジャースは三塁が最も弱かった。この陣容を踏まえればドジャースは本気で長嶋獲得を狙っていたとも言えるし、実際に長嶋が加入すれば、三塁でのスタメン出場はほぼ確実だっただろう。
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「うーん、僕がメジャーに行ったとすれば、中距離打者でしょうかねえ。打率2割7、8分というところではないでしょうか」
本人はこう語っているが、その数字を残すことができれば、十分メジャーリーガーとして通用したのではないか。
伝説左腕に「へい、サンディ!」声かけしてたかも
なにより胸が躍るのは、先発が伝説の左腕、サンディ・コーファックスだったこと。この年のコーファックスは19勝5敗、防御率は1位の1.74。翌65年、66年と2年連続でサイ・ヤング賞を獲得しながら、突然、引退を表明した。登板過多で左ひじを痛めたからとされるが「お金よりも大事なものがある」とのコメントは、大きな反響を呼んだ。72年殿堂入り。
日本的に言えば、長嶋茂雄とは同学年である。
コーファックスが投げ、長嶋が三塁の守備位置から「へい、サンディ!」と声をかけるところを、見てみたかった。現在89歳のサンディ・コーファックスはドジャースのスペシャルアドバイザー。大谷翔平や山本由伸、佐々木朗希が所属するドジャースタジアムにもたびたび姿を現している。
ドジャースにはもう一人、1984年に殿堂入りするドン・ドライスデールもいた。この年18勝16敗。通算209勝。長嶋はドライスデールと仲が良かったようで、春季キャンプ時のツーショット写真がいくつも残っている。

