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長嶋茂雄が猛批判された日「清原に送りバントはねえだろう」巨人オーナー・渡辺恒雄は疑問も…清原和博は長嶋から“1本の電話”「この人には敵わない」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2025/06/06 06:02
1996年11月24日、巨人に移籍した清原和博と握手する当時監督・長嶋茂雄
スター軍団こそ自己犠牲…長嶋の真意
実は、長嶋自身もMVPと打点王を獲得した1968年、阪神と優勝を争っていた終盤の10月2日のサンケイ戦(後楽園)で犠打を記録している。延長10回無死一、二塁で送りバントを1球で決め、巨人は末次民夫の押し出し四球で勝利。試合後、ミスターはこう話した。
〈ははーん、バントだな、と思っていたら、監督に、バントでいくぞ、といわれたんだ。きょうのオレのでき、最低だったからなあ〉(1968年10月3日付/読売新聞)
この日の長嶋は右腕の河村保彦に4打数ノーヒット。相手のスライダーを褒め称えつつ、自身のバントに触れた。
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〈どうだい、オレだってやらせてみればうまいものだろう。最高のバントだったね〉(1968年10月3日付/報知新聞)
4日後の中日戦(中日球場)では、同点の延長11回無死一、二塁で、王貞治も犠打をした。この後、2死満塁から柴田勲が左中間フェンス直撃の二塁打を放ち、巨人は接戦をモノにしている。不振を託っていた王は、こう話していた。
〈ぼくのいまのバッティングでは送りバントを命じられるのは当然だな〉(1968年10月7日付/報知新聞)
川上哲治監督はONにも遠慮せず、勝負所でバントを命じていた。そして、2人の犠打はいずれも得点に結びつき、巨人は阪神を振り切って、V4を達成した。
この経験があったからか、清原のバントについて聞かれたダイエーの王監督は〈あれが勝っていたらどうだ? 結果で判断しては駄目だ〉(2001年7月26日付/スポーツニッポン)と長嶋采配を擁護している。王も巨人監督時代、主砲の原辰徳にバントを命じ、4つの犠打を決めさせている。
「石橋を叩いても渡らない」と評された堅実な作戦を取る川上に対し、ONには攻撃的な監督というイメージがあるだろう。しかし、2人とも勝負への厳しさを持ち、個人よりチームを優先する「フォア・ザ・チーム」の川上采配を継承していたのだ。
選手としてONに仕えた原辰徳も指揮官として阿部慎之助や坂本勇人、岡本和真という主力に犠打をさせている。清原のバントを間近で見た高橋由伸も3年間の監督時代、ベテランの阿部に年1個ずつ犠打をさせている。
そして、新人の年に清原が甲子園でバントを決めたシーンをベンチで見ていた阿部監督も自己犠牲の精神を重んじ、就任以来バントの大切さを何度も力説している。
ONも原も清原も阿部も全盛期にバントをしている巨人には、「フォア・ザ・チーム」の伝統が脈々と受け継がれている。誰よりも巨人を愛し、勝利を渇望した“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄は野球の星に帰っても、13年ぶりの日本一を願っている。

