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「もう野球はやめよう」のちの沢村賞投手が“プロ野球を諦めかけた”高校時代…佐々岡真司が「1989年の伝説回ドラフト」で広島の1位指名を受けるまで 

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中島大輔

中島大輔Daisuke Nakajima

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photograph byTadashi Hosoda

posted2025/05/29 11:02

「もう野球はやめよう」のちの沢村賞投手が“プロ野球を諦めかけた”高校時代…佐々岡真司が「1989年の伝説回ドラフト」で広島の1位指名を受けるまで<Number Web> photograph by Tadashi Hosoda

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている

「開幕一軍を目指したい」入団合意した佐々岡の決意

 2回目の交渉では契約金7000万円、年俸600万円で合意。当時の朝日新聞は、「広島が異例の契約金アップで譲歩。佐々岡も歩み寄った」と報じた。前年のドラフト1位、駒澤大学の野村謙二郎は契約金6000万円、年俸600万円で入団したことを考えると、広島は社会人の佐々岡に対し、相応の条件を提示したと考えられるだろう。

「津田投手を目標に、開幕一軍を目指したい」

 入団合意した佐々岡はそう意気込みを示した。“炎のストッパー”と言われた津田恒実のように、真っすぐで押して三振をとれる投手になりたい。そう考えて社会人時代に投球フォームを参考にし、自身のレベルアップにつなげた。

 夢の世界にたどり着いた佐々岡は入団1年目の1990年途中、先輩右腕から守護神のバトンを受け継ぐことになる。インタビュー第2回に続く》

#2に続く
あの広島ドラ1「先発→抑え→先発」1年間でビックリ配置転換…佐々岡真司が語る“こんなに違った”野球界の常識「無茶なことしてるな、浩二さん(笑)」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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