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沢村賞を争ったのは「同期・野茂英雄」だった…あの“伝説回ドラフト”の広島1位指名・佐々岡真司がライバルを超えた日「18年の現役生活で一番投げた」

posted2025/05/29 11:04

 
沢村賞を争ったのは「同期・野茂英雄」だった…あの“伝説回ドラフト”の広島1位指名・佐々岡真司がライバルを超えた日「18年の現役生活で一番投げた」<Number Web> photograph by L)KYODO、R)Tadashi Hosoda

現役引退後は広島の監督も務めた佐々岡真司さん。現在は女子野球・三次ブラックパールズのGMを務めている

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中島大輔

中島大輔Daisuke Nakajima

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L)KYODO、R)Tadashi Hosoda

野茂英雄が史上最多8球団からの1位指名を受けた1989年のプロ野球ドラフト会議。そこで広島から1位指名を受けたのが、NTT中国からプロを目指す佐々岡真司だった。のちにカープを代表する大投手となる佐々岡の“鉄腕の種”は「知られざるルーキー時代」に蒔かれていた――。《NumberWebインタビュー全3回の最終回/第1回第2回も公開中です》

◆◆◆

 広島入団1年目の1990年、ドラフト1位の佐々岡真司は先発→抑え→先発として44試合に登板。35年後の今振り返ると「無茶なことしてるな、(山本)浩二さん(笑)」という指揮官の起用法だったが、プロ2年目は投手陣の大黒柱として前年以上に右腕を振った。

 開幕から先発に固定されると、4月25日の阪神戦から5月11日の中日戦まで30イニング連続無失点の球団記録を達成。7月14日時点で北別府学と並ぶ、チーム最多タイの7勝をマークした。

「振り返れば、むちゃくちゃな起用ですけど(笑)」

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 1991年のペナントレースをリードしたのは中日で、前半戦を首位で折り返した。広島の山本監督は龍の背中を捉えるべく、ムチを入れる。牽引役に指名されたのが、入団2年目の佐々岡だった。

「夏場以降が勝負だ。8月から、お前中心に回していく。心中だ」

 後半戦は佐々岡を中心に先発ローテーションが組まれ、時には中4日でマウンドに上がった。指揮官の抜擢を意気に感じ、チームのために無我夢中で投げ続けた。

「とにかく完投して、時にはリリーフに入ってくれと。天王山の中日戦があれば、『また2、3日後に行くぞ』と。中日戦を迎えるまでも落とせないので、目の前の一つの星もとりにいく。それが最後の2カ月ぐらいの戦いでした。疲れとかいうより、とにかく優勝の数字が見えてきた、逆転が見えてきたという気持ちだけで投げていました。今になって振り返れば、むちゃくちゃな起用ですけど(笑)」

 中日を追いかける8月25日のヤクルト戦で先発し、4イニングを投げて先に5点を先制されたが、味方打線が奮起して逆転勝利を収めた。

【次ページ】 9月の4試合で“すべて完投勝利”→悲願の優勝へ

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