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「俺たちは昨日、何をしていたんだ?」46歳でまさかの急逝…バスケBリーグ“プレーオフ決勝進出”宇都宮のヘッドコーチがチームに残したもの
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ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2025/05/25 17:00
今年2月に46歳の若さで急逝した宇都宮ブレックスのケビン・ブラスウェルヘッドコーチ。それでもチームに残したものは大きかった
そんな加藤は、実は“もう一人の男”として知られている。
ブレックスのキャプテンである田臥が、高校バスケ界の強豪・秋田県立能代工業高校(現能代科学技術高校)の出身であるのは有名な話だ。そんな田臥の2学年下で、能代工時代に同じ下宿先で暮らしていたのが加藤だった。
一方で加藤は、選手として田臥ほどの実績を残すことはできなかった。卒業後はアメリカのカンザス大学に進学し、スポーツマネージメントを学んだ。その後もアメリカに残ると、NBA Gリーグ(※当時の呼称はDリーグ)のベーカーズフィールド・ジャム(現モーターシティ・クルーズ)のスタッフになったのだが、当時NBA入りを目指して挑戦を続けていた田臥も同時期にこのチームに所属することになった。何の因果か、海を渡っても同じチームで戦う仲になったのである。
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もっとも、2人の戦いはそこで終わらなかった。2008年に田臥が当時のリンク栃木ブレックスに移籍してきた後、加藤はブレックスにスタッフとして入団。こうして田臥とは3度、チームメイトとなっている。
ブラスウェルの死後、スタッフから「提案」が…
そんな加藤はブラスウェルHCの死後、チームにある提案をした。
「喪章としての役割も果たしつつ、天国で見ているケビンとつながりを感じさせるものを作りたい」
それは、創成期からブレックスを支え、現在では通訳、チームマネージャー、GMアシスタントという3つの仕事を兼務している加藤にしかできない仕事だった。
果たしてチームは、意外な“あるもの”の制作に乗り出した。
<次回へつづく>

