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「『もう必要ない』と言われたりもしましたけど」…代表活動は「最後のつもり」バスケ日本代表“諦めない男”比江島慎(34歳)が語る“苦労人の軌跡”
posted2025/01/11 11:04
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
FIBA
「自信をなくした夏でした」
2019年夏に行なわれた中国W杯。日本ではあまり知られていない都市・東莞で行なわれ、観客もまばらだった最終戦後のこと。失意のドン底に落とされた大会を振り返るなかで、比江島慎はそんな言葉を残した。
この1年前、比江島は大きな決断を下していた。大学卒業後に加入したアイシンシーホース三河(当時)を離れ、栃木ブレックス(当時)へ移籍したのだ。ただ、ブレックスとの契約には、海外のチームから正式なオファーがあった場合には「最大限のサポートをする」という条件がついていた。
2018年、海外移籍で味わった「挫折」
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するとその後、オーストラリアのブリスベン・ブレッツからオファーが届き、早くも海を渡ることになった。
「自信を得るために、海外移籍を」
移籍会見で比江島はそう宣言した。ただ、新天地では本来のプレーを見せられず、平均出場時間は約1分にとどまった。初めての海外移籍ゆえの適応の問題や、チームから求められている役割と自身の得意とするプレーの相違など、原因はいくつもあった。
当時は悔しさを紛らわせるために、ゴールドコーストまで、何度か車を走らせた。
きれいな海岸線の広がる街は、ブリスベンから車で1時間ほどの距離にある。そんな世界に誇るビーチで心のさざ波を沈めたことは何度もあった。8月11日、真夏に生まれた比江島にとって、ビーチを照らす太陽は力をもたらしてくれた。
「あれがバスケ選手としてのステップアップにつながったかというと、そうではないので、何とも言えません。でも、人生経験としては、行ってよかったと思います。あそこで行ってなかったら一生後悔していたと思うので」
この時期には、オーストラリアにあるメルボルン・ビクトリーというサッカーチームでプレーしていた、サッカー界のレジェンド本田圭佑と会って、色々な話を聞かせてもらったりもした。当時の経験は、今の比江島の血や肉になっている。