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「日本一にも、達成感がなくなって…」将来を嘱望されたバレー大山未希は、なぜ25歳で“現役引退”を決めたのか? ビーチバレー転向までの真実
text by

市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byL)Miki Fukano、R)BeachVolleyballStyle
posted2025/05/28 11:01
成徳学園から東レに入団した大山未希さんに、25歳での“1度目の引退”の真相を聞いた
「本当に申し訳なかったなぁ」反省した理由は…
ところが未希さんがセッターに転向した直後、チームは外国籍選手との契約をせず、姉の加奈さんも怪我をして試合に出られなくなった。「転向せずにアウトサイドヒッターを続けていればよかった」と思った瞬間もあると正直に振り返る。
ただし、セッターの経験は未希さんのバレーボール観を変え、彼女を一回り成長させる糧となった。
「とにかくクイックですよね。アタッカー一人ひとり、欲しいトスの高さも好みも違います。セッターが上げておいたトスを打つのではなく、わたしがアタッカーに合わせなければいけない。それが一番難しかったです」
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学生時代、自主練習にはほぼ参加したことがなかった未希さんだったが、セッターに転向してからは練習量が圧倒的に増えた。他の選手が練習を終えたあと一度、合宿所に戻り食事をとってから再び体育館に向かう。一度の練習で数えきれないほどのトスを上げた。
「延々と練習を続けていると、それまで自分に上げてくれてきたセッターの思いがすごくよくわかるんです。中学のとき、わたしはとても気が強い性格だったので『打てないよ』と言ってセッターに向かってボールを打ち返したこともありました。本当に申し訳なかったなぁと心から反省しましたね」
中道瞳とのセッター争い「嫉妬は全くありませんでした」
コーチとマンツーマンで練習を積んだ成果もあり、徐々に出場機会も増えた。当時、東レの正セッターだったのはロンドンオリンピック代表にも選ばれた中道瞳さん。159cmと小柄だった中道さんと、メンバーチェンジでコートに入る未希さんは、二人が全く違うタイプのセッターだったこともあり、交代が功を奏して勝利を手繰り寄せる試合も多かった。
「もちろんレギュラーになりたい気持ちはありましたけど、お互い全く違うプレースタイルだったこともあって、嫉妬などの気持ちは全くありませんでしたね。中道の調子が上がらないときは、わたしが入って頑張ろうという思いでプレーしていました」
中道さんのトスに比べ、未希さんは身長が高いため、出所も高い。その分、相手ブロッカーを惑わし、アタッカーの視界を広げることもできる。
「中道は速いトスが得意でしたから、わたしを試合途中から入れることで攻撃のリズムを変えることが目的だったんでしょうね。監督の意図を理解していましたし、もちろんその自分の役割にやりがいを持っていました。試合で後からコートに入って『チームの流れを変えてやるぞ』みたいな役割は秘密兵器っぽくてかっこいいなと思っていましたね」
こうしてセッターというポジションでリーグ優勝も成し遂げた。

