バレーボールPRESSBACK NUMBER
「日本一にも、達成感がなくなって…」将来を嘱望されたバレー大山未希は、なぜ25歳で“現役引退”を決めたのか? ビーチバレー転向までの真実
posted2025/05/28 11:01

成徳学園から東レに入団した大山未希さんに、25歳での“1度目の引退”の真相を聞いた
text by

市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
L)Miki Fukano、R)BeachVolleyballStyle
◆◆◆
常に自己肯定感に包まれ、伸び伸びとプレーしてきた大山未希さんは「学生時代は挫折と言われるような経験もなかった」と振り返る。
そんな未希さんに転機が訪れる。
ADVERTISEMENT
高校を卒業後、実業団チームの東レ・アローズ(現・東レアローズ滋賀)に入団。姉の加奈さん、高校の先輩である荒木絵里香さんも所属するチームだった。
「社会人2年目からセッターに転向しました。最初は全然、試合に出場できないし、コーチに言われることがうまくできなかった。でも、何とかしなければいけないと思って、たくさん練習しましたね。バレーボールをしていて一番苦しかったのはその時期です」
日本を代表する大型セッターに…期待された転向
当時、東レのアウトサイドヒッターには姉の加奈さんと外国籍選手がいた。なかなか出場機会は巡ってこない。出られたとしても、加奈さんか外国籍選手のどちらかの代わりに守備固めでコートに送られるため、後衛の3ローテーション分のみ。同じポジションにはレギュラーを虎視眈々と狙っている先輩選手もいる。「レギュラーにはなれないかもしれないな」と思っていた矢先、セッター転向の話が持ち上がった。
当時、日本では大型セッターの育成が急務だと叫ばれていた。未希さんの身長(179cm)はセッターであれば十分、高い部類に入る。加えて小学校5年生のとき、セッターとして全国大会で優勝した経験もあった。ゆくゆくは日本を代表する大型セッターにと期待をかけられての転向だった。
「自分ではずっとオーバーハンドパスが得意だと思っていたのですが、トスとなるとまた話は別。バレーボールを始めた頃からずっと『わたしはできる』と思ってプレーしてきたのに、思い通りのプレーができない。その上、セットアップが合わないとアタッカーに嫌な顔をされることもありました」