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「日本一にも、達成感がなくなって…」将来を嘱望されたバレー大山未希は、なぜ25歳で“現役引退”を決めたのか? ビーチバレー転向までの真実
text by

市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byL)Miki Fukano、R)BeachVolleyballStyle
posted2025/05/28 11:01
成徳学園から東レに入団した大山未希さんに、25歳での“1度目の引退”の真相を聞いた
大山未希はなぜ25歳で“現役引退”を決めたのか?
そして2010年、未希さんは25歳という若さで現役生活を終えることを決意する。
「わたし、現役中におそらく15回ぐらい日本一になっていたんですよ。日本一を目指して練習をしてきたので、もちろんうれしいんですけど、徐々に達成感が100%ではなくなってきてしまった感じです」
燃え尽きたという言葉が一番しっくりくるのかもしれない。小学校1年生からずっと続けてきたバレーボールに一旦、区切りをつけたいという思いが強くなっていたのである。
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新しい目標を見つけたいと考えていた未希さんを、ビーチバレーボールに誘う人物が現れた。すべてのプレーを高いレベルで実現できる未希さんは、ビーチバレーボール競技の特性に合っていると評価されたのだ。
ビーチバレーボールでは、それまで経験したことのない出来事にたくさん出会った。選手4名が同じ車で、それぞれが運転をして試合会場へ向かう。経費を抑えるためだ。インドア時代はチームのマネジャーが用意してくれた新幹線や飛行機のチケットも、予約から購入まで自分で手配する。練習したければ、朝早く海岸に赴いてコートを陣取るなど、すべてを自分で行わなければならなかった。
「最初の国内遠征では、びっくりするような宿舎に泊まりました。インドア時代はリーグでの遠征は一人部屋で、清潔なホテル。なんでもチームが用意してくれて、すごく恵まれていたんだなと思いましたね。でもビーチバレー時代にそういった経験をしておいてよかったなと今となっては思います」
ビーチでの3位は「どの日本一よりうれしかった」
ビーチバレー転向後、すぐに右肩を手術するアクシデントにも見舞われたが、さまざまな選手とペアを組み、ビーチバレーを学んでいった。
「手術をしたことでスタートダッシュが遅れた分、ペアを組む相手がなかなか見つからなくて、最初は苦しい時期もありました。しかも、ビーチバレーとインドアバレーは全くの別物。砂に足を取られたり、風に苦戦したりしました。自分よりはるかに年下の、でもビーチ歴の長い相手に簡単に負けるんです。それまで無敵だったのにって自分でも驚きました」

