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「朝までドンチャン騒ぎ…自分を責めたね」張本勲の後悔“じつは清原和博18歳よりスゴかった”1年目「なぜあれほど打てたのか?」張本を知る男の証言
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/05/11 11:02
「打者で高卒1年目の新人王」清原和博の前に張本勲が達成していた
シーズン最終戦となるダブルヘッダーの前日、合宿所で同僚たちと朝までドンチャン騒ぎをしたため、万全ではない状態で試合に臨み、6打数ノーヒット。打率.275でシーズンを終えた。仮に2安打していれば.280に乗り、もし5打数5安打なら.288で打撃ベストテンに名を連ねたはずだった。
〈まあ1カ月、自分を責めたね。なんて俺はバカなんだと。こんなことをやってたらプロ野球で生きていけんぞと、ホント自分自身に「喝!」を入れました。そこでスポーツ選手は自己管理が大事だと痛感させられた〉(※19)
張本を知る男「すげえな、アイツ」
56年から3年間東映フライヤーズに在籍し、OB会会長も務めた八名信夫は、俳優転身後も東映の選手と銀座で飲んでいた。だが、張本の姿は記憶にないという。
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「ハリは参加してなかったな。八郎がいるから遠慮していると思っていた。先輩と一緒に飲むと気を使うからな。でも、そうじゃなかったんだな。すげえな、アイツ」
ルーキーイヤーの最後の2試合が、歴史に名を残す大打者の第一歩となる。改心した2年目に打率を3割に乗せ、3年目に初の首位打者に輝く。以降、その座を7度も奪う。
猛練習で技術と体力を向上させ、自己管理を徹底したからこそ、張本勲は日本球界最多の3085安打を積み上げられた。そして、もし入団の際に契約金を確認していたら――と思わずにはいられない。目先の金に目を眩ませていれば、“運”は引き寄せられなかったかもしれない。
〈第1回からつづく〉
※1、2、6、12、13 1991年7月発行/書籍「闘魂のバット 3000本安打への道」/張本勲・著
※3、5 1976年9月発行/書籍「不屈の闘魂 張本勲」/大島幸夫・著
※4、19 2020年9月号/ベースボールマガジン
※7 1959年4月22日号/週刊ベースボール
※8、9 1959年3月15日号/週刊明星
※10、11 1959年3月発行/週刊読売臨時増刊 プロ野球読本
※14 1959年9月23日号/週刊ベースボール
※15 1959年9月9日号/週刊ベースボール
※16 1959年8月12号/週刊ベースボール
※17、18 1959年11月18日号/週刊ベースボール
※肩書きや名前は当時。「※16」の引用文は読みやすさを考え、ひらがなを漢字に、漢字をひらがなに直している箇所あり
