東映時代の張本勲(左)と山本八郎。1958年撮影 / photograph by KYODO 当時、東映のオーナーだった大川博 ©JIJI PRESS 当時を回想する八名信夫さん(現・俳優)。1956年から3年間、東映フライヤーズに在籍した ©NumberWeb 張本勲18歳。東映入団直前の1958年冬に撮影 ©JIJI PRESS 東映時代の張本勲(左)と“ケンカ八郎”こと山本八郎。1958年撮影 ©KYODO 【連続写真】1974年の日米野球。タッチアップの生還時、相手捕手をかわしてホームイン! ©JIJI PRESS 【連続写真】1974年の日米野球。タッチアップの生還時、相手捕手をかわしてホームイン! ©JIJI PRESS 現役時代の張本勲。高卒ルーキーで4番に座った ©JIJI PRESS 1959年のプロ野球、右から最優秀選手賞・最優秀防御率・最多勝の杉浦忠、首位打者の杉山光平、打点王の葛城隆雄、新人王の張本勲、本塁打王の山内和弘 ©KYODO 現役時代、日本球界最多の3085安打を積み上げた張本勲 ©KYODO 野手で高卒1年目の新人王は張本以降、清原和博まで現れなかった ©JIJI PRESS 当時を回想する八名信夫さん(現・俳優)。「まずい、もう一杯!」の青汁CMで知られる。1956年から3年間、東映フライヤーズに在籍した ©NumberWeb 1985年撮影の張本勲(当時45歳) ©BUNGEISHUNJU 2007年撮影の張本勲(左) ©Takashi Shimizu 江夏豊「たった一人の引退式」で。中央に張本勲の姿 ©BUNGEISHUNJU 張本以降はじめて、高卒1年目の野手として新人王を獲得した清原和博。写真当時19歳 ©Number 優勝後のパーティーで。当時21歳 ©Kazuhito Yamada 「落合さんが気になる…」清原和博がチラ見 ©Kazuhito Yamada 清原と落合博満が談笑 ©Kazuhito Yamada 当時、東映のオーナーだった大川博 ©JIJI PRESS 当時を回想する八名信夫さん(現・俳優)。1956年から3年間、東映フライヤーズに在籍した ©NumberWeb 「打者で高卒1年目の新人王」清原和博の前に張本勲が達成していた ©Kazuhito Yamada

張本勲18歳。東映入団直前の1958年冬に撮影 ©JIJI PRESS

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